八十四番〜八十六番
八十八番で歩みを止めることに決めた。きっぱり遍路から足を洗おうと思う。歩きながら思っていた。輪廻という概念を持った仏教がしかも曼陀羅好きの真言宗が何故八十八番で杖を置き、四国を一周し輪の形にして来なかったのだろうかと。八十八番から一番まで40キロほど今まで歩いた距離から言えば大した距離でない。聞いた話、お礼参りとして一番まで戻ることは最近言われ始めたらしい。八十八番で止めていたのは理由があるはずだ。
それは帰れる人間は帰った所で仏性を発揮しろという意味だろう。行者であれ参拝者であれ共同体に戻れということだと思う。
巡礼であれ、修行であれ、旅は非日常だ。非日常には始まりと終りをハッキリさせないといけない。どんな遊びにも始まりと終りがある。
舞台や映画は幕が上がり、そして下がる。レースであればグリーンシグナルが光り、チェッカーフラッグが振られる。祭であれば始まりの神事、終わりの神事がある。ギャンブルであれば手持ちが無くなれば終りだ。
コレクションには終わりはない。どこまでも集め続けないといけない。もっともっとの地獄だ。
四国を輪の形にしてしまうと終わりが無くなる。帰れなくなった遍路さんを沢山見た。四国の輪から抜けられなくなった人々を。
色々な事情があって帰れなくなったのだろう。帰ることが出来る場所がある人間は終りをハッキリさせないといけないと思う。四国の暖かさの中で延々と遍路をするわけにはいかないのだから。
という訳で八十八番を打ち終えたら帰ります。本当はほとんど暖かい布団で早く寝たいだけ。
「いいな〜いいな〜人間っていいな〜皆で仲良くぽかぽかお風呂〜暖かい布団で眠るんだろな〜僕も帰ろうお家に帰ろう〜でんでんでんぐり返らずにバイバイバイ」
いい歌だ。アンパンマンマーチと同じ位に。
今朝は曇り。雨になるかもしれない。昨晩はなかなか眠れなかった。八十四番に向かう。市街地は矢印を一度見失うとなかなか見つけられない。山を目指して歩く。距離はさほどでもないが勾配がキツイ。寒いが汗がでる。納経を終えて降り。キツイ。急な降りの山道。
平地に降りて次の山を目指す。八十五番。途中うどんを食べて登りに望む。
登りの途中、ヨモギ餅を頂いた。
「昨日二人の野宿遍路が登って行ったわ」
よく聞くと途中で会った二人だった。もう結願してるかもしれない。ここの登り降りは楽だった。
最後に平地を行き八十六番へ。途中道の駅に寄る。ここは自転車で来た時、初日の野宿をした所だ。懐かしい。酒に酔って目覚めたら河原だったという経験を除けば、そこが人生初の野宿だった。
さら進み今日は八十六番で終わり。
明日、天気次第で結願まで行くかも。天気次第。
雨が降ったら女体山には入りません。遍路サロンで一晩待ちます。
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