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2009年11月04日

二十七番

今朝は本当に冷えた。河原にテントを張ったのがいけなかったのか。白銀カイロもパワー不足だった。寝袋の上にポンチョを掛布団の様にしたが、まだまだ冷える。これからはもっと重ね着をして寝よう。そしてもう河原にはテントを張るのは止めよう。
早々にテントを撤収。まだ寒い。三枚重ね着をして出発。
今日は山登りの予定だ。暫くは平地を行く。歩き始めて右足の付け根に痛みを感じた。ちょうどコンビニがあったので歩みを止める。トイレを済ませて歩き始めると右足の痛みは無くなっていた。準備体操は必要のようだ。
山道口に着くと下ってきた歩き遍路に出会った。
「遍路道はキツイけど、舗装された車道はそうでもないよ」
この言葉が道中悩みになる。
暫くは車道を行く。遍路道の矢印が見えてきた。
「どうするべきか?いままで通り山道を行くべきか。それとも…」

車道を選んだ。車道でも十分にシンドイ。なんども休みながら、4キロを登りきる。二十七番は完全な山寺である。小さな平地に寺が建っている。車道が出来るまでは大変な生活だっただろう。
登りと同じ道を下る。同じ道は少しイヤだ。
昼過ぎに国道に合流し、夕方まで国道を歩く。今日も海は穏やかな表情だ。
安芸市市街地に入ると後ろから声をかけられた。
自転車に乗ったおじいちゃんだった。
いきなり
「お遍路さんを増やすにはどうしたらいいと思う?」
唐突だ。
「1日2日で小分けにしてお参りできるプランをもっと沢山提示すればいいと思います」
と答えた。
次はこっちの番だ。
「なんでそんなことを聞いてるの?」
「お遍路さんを沢山呼んで、地域興しを考えてるんや〜」
それから高知の話を聞かせてもらった。言葉はマルクス用語満載だったが内容は次の様なものだった。三菱財閥の創設者のこと。高知の山間部は紙漉きが盛んで幕末には工場の様な形が始まっていたこと。工業化・近代化の目が高知の山の中で芽吹いていたのである。開国に進んだ人々の理由が少し分かった様な気がした。薩摩は砂糖。長州は塩。土佐は紙だったのだ。紙は近代という社会システムを作った一つの要因でもあり面白いと思った。紙を作ることで培った土佐の人々の目は、欧米で紙が作り上げた近代を見ることが出来たのである。人には文化や歴史という所以があり、文化や歴史には土地という所以がある。他所の土地の制度をそのまま使うことは出来ない。都市と言うシステムを背負い、世代が断絶した為歴史を知らない現代日本人はどうなのだろうか?歴史を知らないと言うことは面識のない人の想いが解らないということだ。サンタクロースを信じられない子どもに少し似てるなと考えさせられた。

そんな話をしておじいちゃんと別れた。

今日は良く歩いた。明日もひとつは打ちたい。


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