2009年11月30日
五十四番


一緒に泊まったお兄ちゃんは先に出立していった。宿の犬と戯れて出立。海沿いを歩く。途中おばあちゃんがみかんをくれた。対岸に見える島々を説明してくれた。広島も見えてるらしい。瀬戸内海はやっぱりいい。
淡々と歩く。五十四番まで後2キロ。おばちゃんがジュースをくれた。ひょんなことからこの土地の学校の話になる。この土地は学校ブランドの力は強いらしい。あまり好きな話じゃない。品がない。
五十四番に到着。同宿だったお兄ちゃんがいた。他に2名の野宿遍路がいた。鹿児島と大阪からだと言っていた。
今日は五十五番は諦めて終了。さらっとした日記もタマにはいいでしょ。
2009年11月29日
五十二番〜五十三番

思った通り少し歩きにくい。ショックがそのまま足に伝わって来る感じがする。初日二日目の様なペースで歩く。次の札所までそう距離はないが午前中一杯かかって到着した。
最初の参門から本堂まで500メートルあり、更に気分が萎える。早々に納経を済ませ次の札所へ。
五十三番にはマリア像があった。隠れキリシタンのものらしい。
若い歩き遍路のお兄ちゃんが地元のおじいちゃんと話をしている。このお兄ちゃんとはまた会うことになる。
五十三番を出立し北上する。海が見えた。中国人の留学生が
「日本にも大きい河あるが」
と言った海。そう。瀬戸内海。
「私は帰ってきた」
そんな言葉が口から溢れた。風景も匂いも太平洋とは違う。波は穏やか。海草の匂い。
少し足は軽くなる。しかしそれも長くは続かない。瀬戸内海に出た途端急に冷えてきた。もう今日は歩きたくない。安宿を探してチェックイン。
この宿はユースホステルと言うらしい。アンノン族が流行ったころ、「自分探し」が出始めた時代、日本に大学生という有閑階層が現れ始めた時代に多くの人が利用したらしい。なんだかんだ言って70年代から日本は変わってない様だ。
チェックインを済ませ荷物を整理しているとお寺でおじいちゃんと話し込んでいたお兄ちゃんがやってきた。お兄ちゃんも泊まるらしい。
近所に温泉があるからと宿主がお兄ちゃんと僕を連れて行ってくれた。
塩味の温泉だった。露天風呂は海に沈む夕日が見えるらしいが今日は生憎の曇り。
脱衣場に戻り身体を冷やしているとお父さんと3歳の男の子、1歳過ぎの女の子が体重計に乗りながら会話をしていた。
お父さんが体重計に乗ってる男の子に
「飯食わないから体重へるんや」
今度は女の子が乗る。
「お前も食べないからへるんや〜お父さんはどうやろな〜」
とお父さんに交代。
「わっ!痩せてる」
ここで男の子が
「じゃお母さんも減ってる?」
「お母さんは減ってない!」
お父さんの返事は即答だった。家族皆減ってたからお母さんもって思うのだろう。よほど自信があるのかお父さんの声は真っ直ぐだった。
休憩所で同宿のお兄ちゃんと合流。
「おじいちゃんと話し込んでたね」
「あの後何か憑いてるからってお祓いしてくれましたよ」
「はぁはぁ〜」
言葉はキツイかもしれないが僕は若干この旅での「超自然的力」ってのに厭々している。「超自然的力」を持ち出せば話は丸く修まると同時に横滑りもする。根っ子に近づけない。しかしこの「力」のおかげで四国を廻れているのも厳然とした事実だ。難しい。スケベ心でいいとこ取りにならない様に気を付けて考えていこう。
宿に戻り食事を頂いて今日は終わり。
明日は今治か。
2009年11月28日
四十九番〜五十一番

テントを撤収し出立。この辺りは札所の間隔が短い。次々と寺が現れる。
一時間も歩かない内に四十九番。郊外の住宅地の様な所を歩く。他人の家の庭を見ながら歩く。もう関係ないのに見てしまう。一度身に付いたモノの見方は消えない。昔誰かが言ってた。庭だけをジロジロ見ながら歩く人は端から見れば変な人だ。
四十九番を打ち終え、五十番へ。この間もあっという間。少し慌ただしい。
多くの偉人が四国を旅している様だ。空海だけではない。行基、空也、一遍、聖徳太子まで。どこまで本当か解らない。史実と伝説の境界が曖昧でグラデーションの様になっているんだろう。境界は問題ではないのだろう。
僕の名字を初めて考えた人がこの辺りに住んでたらしい。都落ちしたその人、真水が備前沖で切れてしまい苦し紛れに海をかき混ぜたら真水が湧き出して助かって愛媛に着いたらしい。真水が出たことが岡山の水島という地名の由来になったらしい。
「この水の可なること、予が里よりす」
この漢字四文字を取って名字にしたらしい。
生物学的にはルーツじゃないだろうけど名字を考えた人が住んでた土地だ。遍路を初めてした人も同じ名字らしい。一遍も。ほとんど伝説だろうけど同じ名字を持った人間が歩いてここまで来た。縁だ。不思議だ。無記だ。
五十番から五十一番に向かう途中おじいちゃんに会った。
「大変やね〜」
「コンビニも自販機もありますから〜」
「そやな〜ワシが廻ったころは何もなかったわ」
終戦、しばらくしてから二周半したらしい。
「特攻隊に居てな〜」
「終戦で特攻はせんかった」
「なんで廻ろと思ったの?」
「一杯人が死んで、価値がごろっと変わって」
「いてもたってもいられなくなって廻りだしたんや」
「戦争終わってお遍路さん増えた?」
「終戦してしばらくたったら増えたな〜」
「沢山殺した人も知り合いが死んだ人も、そんな人が罪滅ぼしや供養の為に歩いたんや〜」
「一杯いたわ〜」
いてもたってもいられなくて歩き出す。この気持ちもまだ僕には解らない。論理的には理解出来る。
子どもの手術に対して百度参りをする親。干ばつで雨を願う農家。男の子がどうしても欲しかった母親。
本当に人間がどうこう出来ないことに人は願うしかない。何がどうこう出来て何がどうこう出来ないのか分かり難いと人は何も諦められない。
おじいちゃんと別れ五十一番に到着。参道には沢山のお店がある。正月の稲荷神社みたいでワクワクする。おばあちゃんに声をかけられリンゴを貰った。
「青森産のリンゴよ〜皮ごと食べてね〜」
ワックスごと食べます。
次は道後温泉本館だ。
「なんてことなかったな」
町は温泉街って感じでワクワクした。
進む程に都会になっていく。クリスマスムード。忘れてた。
アウトドアショップによって靴を交換した。ここまでありがとう。ニューバランス。
2009年11月27日
四十六番〜四十八番


支度を済ませ出立。コンビニで安いチョコレートを買いだめ。糖分は大切だ。
三坂峠を目指してダラ〜っと登る車道を歩く。朝はゆっくりゆっくり歩く。
いつまでたっても車道のまま、なかなか山道に入らない。やっと看板が見え山道に入る。延々と続く降りの始まりだった。
チョコレートをポリポリ食べながら降る。何度か石で足が滑る。この旅の為に新調した靴の裏はもうツルツルになっている。松江で靴を交換するべきか悩んでいる。
滑らない様におじいちゃんのスピードで降る。慎重に慎重に。
四十六番には昼過ぎには着いた。四十七番は1キロも離れてない。四十八番に到着したのは4時頃。
野宿地はないかと納経所のおじさんに聞く。無しと返答。これ以上進んでも市街地に入って行くので野宿適地は少なくなるだろうと判断し四十八番近くを彷徨く。
公園があり、あずま屋もある。
「ここにしよう」
あずま屋では高校生カップルが会話をしている。公園での会話。微笑ましい。
高校生カップルが帰るのを待ってテントを張る。
明日は道後温泉だ。アウトドアショップで靴も見ておこう。
最近、「そうか〜」と思える出会いが減ってきた。僕の中で固定観念が出来つつあるのか。観自在は難しい。
2009年11月26日
四十五番


霧は晴れない。太陽は出ている。霧の向こうにはっきりと太陽の輪郭が分かる。昨日打った四十四番の前を通り四十五番へ向かう。霧の中小学生達が登校している。銀行マンが店舗前の道を掃除している。朝だ。
これから坂道だというところで納経帳を忘れたことに気付く。取りに戻った。
再出発。片道10キロ。車道を少し登り山道の遍路道へ入る。落葉の絨毯だ。
「ザックザック」
と音を発てながら歩く。何人かの歩き遍路とすれ違うが挨拶を交わす程度。皆急いでいるようだ。
八丁坂を目指して歩く。人はいない。車の音もない。あるのは森と水の流れる音と木漏れ日。その中を足音と鈴の音が響く。ジブリのもののけ姫の森の様。
ところで渓の声と山の色に何を聞くんだったけ?道元さん。
八丁坂を登り切り降ると四十五番の裏へと出てくる。
四十五番は岩屋寺。その名の通り岩の中にあると言う感じだ。僕はあまり寺の形には興味がないが岩屋寺は素人目に圧巻だった。鳥取の三朝温泉近くの投げ入れ堂のようだった。山岳仏教の修行場だったのだろう。もっと古い時代の神道からの霊場なのかもしれない。
また来たい。
帰りは車道を通る。車道からの景色も素晴らしかった。土佐の海岸線も美しかったがここも見いる景色だ。
足摺岬付近にも大岩に綱をし鳥居をつけただけの所があった。人が近づけない所には仏教伝来以前の素朴な神道が残っているようだ。手紙も電話も電波も、もちろんネットもなかった頃、情報や技術を運べたのは人間だけだったことを実感した。知識や体験は身体と不可分だった。
今日は20キロほど歩いてストップ。明日から道後温泉に向けて歩く。
2009年11月25日
四十四番
今朝は曇り。凄い湿気。雲の中に居るよだ。テントもずぶ濡れ。テントをタオルで拭き拭き撤収。
間違って進んだ距離は3キロ程。ゆっくり歩いても一時間はかからない。昨晩は暗くて見えなかった風景が見れた。紅葉が鮮やかだ。植林された杉の中に朝露で輝く黄色い銀杏。
本来曲がるべき道を曲がる。テントを張れそうな所がちらほら見える。若干口惜しい。
「おはよう。大変やね」
突然声がした。声の主を探してキョロキョロ。主はあまりにも風景と一体化したおばあちゃんだった。
「一人で行きよんか?」
「関心や〜御利益かるからな〜御利益〜弘法大師様の御利益や〜」
「そうなん?」
「そや〜ウチは子どもが五人居るんやけど、上四人は女でな〜」
「男の子欲しくて〜お参りしたんよ〜」
「ほったら5月5日の子どもの日に男の子が生まれたんや〜御利益あるんや〜」「お賽銭あげるからな〜」と千円いただいた。
おばあちゃんは別れ際
「忘れないから〜」
手をふって別れた。
天気は快晴に暑い。防寒具を全部脱ぐ。汗が吹き出るのは高知以来。久しぶりだ。道路脇の緑地帯にヤギがいた。草を食んでいる。
今日は峠を二つ越える予定。一つ目はなんなく超えた。問題は二つ目だった。
足が動かなくなる。頭がボーとし始める。ハンガーノックだ。(お腹空きすぎて動けない)
昨晩夕食を取らずに寝た。朝からも何も食べてなかった。慌てカロリーメイトやら飴やらを口にしたが手遅れだった。体調は夕方まで回復しなかった。
ついに四十四番半分まで来た。
今晩は民宿で食い溜めする。山道で動けなくなるのは怖い。
間違って進んだ距離は3キロ程。ゆっくり歩いても一時間はかからない。昨晩は暗くて見えなかった風景が見れた。紅葉が鮮やかだ。植林された杉の中に朝露で輝く黄色い銀杏。
本来曲がるべき道を曲がる。テントを張れそうな所がちらほら見える。若干口惜しい。
「おはよう。大変やね」
突然声がした。声の主を探してキョロキョロ。主はあまりにも風景と一体化したおばあちゃんだった。
「一人で行きよんか?」
「関心や〜御利益かるからな〜御利益〜弘法大師様の御利益や〜」
「そうなん?」
「そや〜ウチは子どもが五人居るんやけど、上四人は女でな〜」
「男の子欲しくて〜お参りしたんよ〜」
「ほったら5月5日の子どもの日に男の子が生まれたんや〜御利益あるんや〜」「お賽銭あげるからな〜」と千円いただいた。
おばあちゃんは別れ際
「忘れないから〜」
手をふって別れた。
天気は快晴に暑い。防寒具を全部脱ぐ。汗が吹き出るのは高知以来。久しぶりだ。道路脇の緑地帯にヤギがいた。草を食んでいる。
今日は峠を二つ越える予定。一つ目はなんなく超えた。問題は二つ目だった。
足が動かなくなる。頭がボーとし始める。ハンガーノックだ。(お腹空きすぎて動けない)
昨晩夕食を取らずに寝た。朝からも何も食べてなかった。慌てカロリーメイトやら飴やらを口にしたが手遅れだった。体調は夕方まで回復しなかった。
ついに四十四番半分まで来た。
今晩は民宿で食い溜めする。山道で動けなくなるのは怖い。
Posted by sumi at
20:47
│Comments(0)
2009年11月24日
四十三番〜1

直ぐ近くに十夜ヶ橋という所があった。なんでも空海が橋の下で野宿をした所らしい。
「寒いし五月蝿いし、凄く夜が長く感じるんやけど〜」
って詩を残してるらしい。弘法大使ではなく人間空海を見た。
その後は延々と道なりに進む。二回缶コーヒーの接待を受けた。
予報通り昼から雨になる。野宿地を探しながら歩くがなかなか良い所がない。結局30キロ歩いてしまった。因みに今夜は曲がらないといけない所を3キロ行き過ぎた道の駅で野宿。
筆が進まない。
2009年11月23日
2009年11月22日
四十三番〜

旅に出る前に仕入れた知識では白衣は死装束、金剛杖は墓碑だと聞いていた。いつどこで死んでもその場で埋葬出来るようにと。
ここより峠側で道路工事をしている。工事の際に発見移動されて来たのだろう。
野垂れ死んだよそ者に墓石まで建てた人がこの土地に住んでいた。
これまでの道にも遍路の墓はあったのかもしれない。気に止めず歩いてきた。多くの屍達を越えてきたようだ。
昨晩は寒さの為に夜中何度か目が覚めた。その度に
「チリンチリ〜ン」
と金剛杖の鈴の音がする。疲れていたので気にせず寝た。
朝目が覚めると7時前だった。暗くて目が覚めなかった。テントの撤収中、地元の方が稲荷寿司を持って来てくれた。朝から有難い接待。おばあちゃんは語る。
「今日はこれから大阪に行くの」
紅葉でも観に行くのかと思ったら
「もう治らない病気の知り合いに最後に会いに行くの」
「そうですか」
としか答えられない。少しでもと思い、お札を渡す。
おばあちゃんは、今日会う大阪の知り合いを見て明日の我が身に会うのか。その不安が弘法大師と一緒の僕に接待をさせたのか。
朝から「死」を見た。
僕は腹は減も減る、寒ければ身体を温めようと震える、暑ければ汗をかき、坂を登れば全身に酸素を送ろうと息切れを起こす。僕の身体はいきる気満々である。その気概に死ぬまで付き合おう。
テントの撤収が済み。一応遍路墓に頭を下げ歩き出す。僕はまだ人間以外に手を合わせられない。どこかで人間以外に仏性を認めていない証拠だ。般若心経も覚えてない。
「チリンチリ〜ン」
昨晩の鈴の音がした。飼い犬につけられた鈴の音だった。夜中でも犬は起きてるんだ。知らなかった。
空は曇り。昼から雨らしい。四十三番までは空はもった。打ち終え歩き出す。店が多い。
市街地を抜け峠に入る。登りは大したことなかったが降りが延々と続く。途中で卵かけご飯を食べた。
降り終えるとまた市街地にUNIQLOを発見。これから寒い地域に入るらしいのでヒートテックのタイツを購入。ついにレギンスデビューか。
今日は30キロほど歩いて終了。もう少しで瀬戸内海が見れる。
2009年11月21日
四十一番〜四十二番

「お兄さん、お兄さん」
振り返るとおばちゃんが500円玉を差し出していた。現金を頂くのはこれが二度目。ありがたく頂き、お礼を言う。現金を頂くのは少し気が引ける。納経代にさせていただこう。
暫く行くと今夜はおじいちゃんに声をかけられた。
「どちらからですか?」
「岡山です」
そんなやり取りをした後、おじいちゃんは道を説明してくれだした。
「踏み切りを渡って右に曲がって………」
「この行き方が一番近いんや」
やたら詳しい説明である。只でさえ手順を覚えるのが苦手な僕に記憶出来る訳がない。話をしていると元タクシードライバーだったらしい。詳しいはずだ。
おじいちゃんの説明通りに歩いてみる。二三手行くといつも通り矢印を頼りに進み出す。無理でした。
だら〜とした登り道を歩き、盆地に入る。寒い。
四十一番手前の食堂で食事にする。食堂のおばちゃんがブリのアラ炊きを接待してくれた。美味かった。
店の壁には沢山の写真が張ってあり政治家の管直人や格闘家の須藤元気が遍路をし、食堂に立ち寄った時の写真があった。
四十一番を打ち終え歩き出す。この辺りから顔が熱く熱っぽくなりだした。
とぼとぼ四十二番を目指し、その辺りでテントを張るつもりで歩いた。
四十二番に到着。おじさんに声をかけられる。
「ずっと歩いてるんか?」
「そうですよ」
「ようやるわ」
「そのエネルギーを御国の為に使わないと」
体調が悪いせいかイラっときたがごもっともである。言葉尻を捕まえて反論するのも大人気ない。
「そうですね〜シャバの為にね〜」
とだけ答えた。
納経所テントを張るのにいい場所を聞くと参門前の東屋だと言われた。見に行くと殆ど壁がなく風に晒されそうなので諦めて歩き出す。ハンドブックでは次の東屋までそうはない。日もまだ明るい。峠越えはあるがトンネルもあるし車道を通れば直ぐだろう。
考えが甘かった。延々と登り道。ハンドブックにイラっとしてしまった。トンネルは頂上手前にちょろっとあっただけだった。結局、思っていた倍の時間がかかってしまった。麓の休憩所にテントを張り、今日は終了。
イライラした一日だった。
2009年11月20日
四十番〜1

寝床に戻り支度を始める。戸が開きおじいちゃんが入ってきた。
「ここでおにぎり食べさせてください」
「どうぞどうぞ」
おにぎりを食べ始める。どうやら音の根はこのおじいちゃんらしい。落ち着いたのかお喋りが始まった。
「どこからですか〜?」
「岡山ですよ〜」
「岡山言ったら鶴瓶の番組に出てたな〜」
「僕はその土地に縁があるんですよ〜」
特に話は膨らまず、おじいちゃんはまた掃除をしに境内に戻って行った。
時々、寺の境内を地元の人らしき人達が掃除をしている。やれること、気にかかることがあるのはいいことだ。おじいちゃんは生き生きしていた。
自分の支度も出来、一晩の寝床と参門に頭をさげ出立。
寒い。直ぐにコンビニがあり、ホットコーヒーを目当てに入店。入口右手に耳当てを発見。近寄り何度も手に取り試着しては戻し、試着しては戻しを暫し繰り返す。購入を決定。
何も言ってないのに店員さんはすぐに使えるようにタグを外してくれた。悩んでる姿を見られていたらしい。気遣いに感謝。
さあ。ネックウォーマー、手袋、耳当てを手に入れ、呼吸の白いを見ながら歩く。快適。後はUNIQLOのフリースかヒートテックだ。
今日は柏峠を越える予定。甘く見ていた。意外とキツイ。防寒具を全部脱ぎ登る。道中みかんを頂いた。
降り終えるとだんだんと市街地に入ってきた。見慣れたコンビニもチェーン店も増えてきた。
宇和島に入ると見たことのある店ばかりだ。岡山を歩いてるのと大差ない。高知の様な旅情は消えた。
途中UNIQLOの前を通ったがヒートテックを物色する元気は既になく素通り。
今日は宇和島市街で止め。40キロ位歩いた。
2009年11月19日
四十番

休み過ぎたか調子が出ない。身体が重い。休憩すると寒い。ネックウォーマーが威力を発揮してくれた。数日前まで半袖で歩いていたが今日は終日三枚来ている。この分だとダウンが出て来るのも時間の問題だろう。
この山道は所々で集落とぶつかる。おじさんに挨拶。
「でっかい荷物やね〜」
いつものパターンだ。
「やり過ぎましたわ〜はぁはぁ〜」
いつものパターンで返す。
「最近は若い子も多いわ〜」
「そうなんですか〜何年前位からですか?」
「5〜6年前かなぁ〜」
「へぇ〜」
5〜6年前から若い遍路が増えている。何が理由だろ?歩きながら考えたが解らなかった。
暫く歩くと牛が何頭かいた。茶色のジャージー系の牛に見えた。岡山の蒜山にいるやつだ。子牛が泥の中を跳ねていた。
頂上に到着。この山道は昔重要な街道だったらしく、関所もあったらしい。茶屋の跡等もあった。
愛媛県に入る。修行の土佐から菩提の伊予へ。急に山道が整備され歩き安くなる。標識も細かくある。県によって違うみたいだ。
身体は重いまま歩き続け四十番へ。団体さんと鉢合わせになる。久しぶりの光景。おばちゃん軍団に絡まれる。
おばちゃんA「歩き?凄い荷物ね〜」
おばちゃんB「ここまで何日掛かった?」
おばちゃんC「野宿?今日は何処で寝るの?」
おばちゃんABC+何人かのおばちゃんが同時に質問をし始める。空海じゃなくて聖徳太子を求められる。答えるだけ答えたが
最後には
「格好ええわ〜拝んどこっ!!」
もう訳が解らない。
しかしディズニーランドのミッキーマウスの気持ちが少し解った。僕もまた彼女達の旅の思い出の一部なのだ。
おばちゃん嵐が止み、静かになった境内で納経を済ませ、今夜は四十番にお世話になることになった。
最後にドッと疲れた一日だった。
2009年11月18日
三十九番

途中おばあちゃんに挨拶。「おはようございます」
「お寺に行くの?」
「そうですよ」
「私も行くんや」
少し一緒に歩くことにした。
「医者に健康の為に歩きなさいって言われてるんよ」「でも面倒くさいが〜」
「一緒に歩く人がいて良かったわ〜」
ホスト役らしい。
色々話を聞いた。足摺岬辺りは昔は舗装されてなかったらしい。それはどこでも同じだか。道が綺麗な白い砂利で覆われていたらしい。想像すると青い空と海に山の緑、その中を白い道が伸びている風景。もったいない綺麗な風景だ。一部だけでも復活させて欲しい。
山道に入りおばあちゃんと別れる。
三十九番に到着。地味な寺だ。樹齢500年のイブキがあるらしい。500年前、日本で言えば戦国時代で信長などの登場まで後少し、欧州ではルター、カルビンなどの宗教改革が始まりかけた頃。日本も欧州も混乱の時代だ。近代の息吹が芽吹き出した時代。そんな大昔、でも僕らが生きている時代の始まりかけた頃から生きてる木だった。
復路は気が滅入る。頻繁に休憩を取りながら帰った。途中手袋とネックウォーマーを買った。新装備。
今日は終日晴天だった。明日から峠越えが続く。
ヘルペスが出てきた。
2009年11月17日
三十八番〜1

9時半ほどになって霧雨になってきた。出発しよう。今日は宿毛市まで行きたい。40キロほどの道程だ。今まで最長。
一晩の寝床に頭を下げ歩き始める。この辺りは観光地で変わった形の岩などの自然が見所らしい。
只々歩く。雨は殆ど気にならない程度だ。
残り15キロまで順調。この辺りから日が落ち真っ暗になる。寒い。ザックから防寒着を出す元気ももうなかった。耳が冷たい。
どうにか目的の町に着き今日は終了。
僕の身体に40キロはキツかった。
2009年11月16日
三十八番

布団と毛布で暖かく眠れた。布団と毛布は凄い発明品だ。
僕も起きて身仕度を始める。お兄さんは絵を描きに行くらしい。7時にはお互い別れを言い出発した。
6キロほどで三十八番だ。直ぐに到着する。納経を済ませ直ぐに歩き出した。一般的なルートは三十八番から引き返し東側から三十九番を目指すらしいが僕は西側から三十九番を目指すことにした。景色がとても綺麗らしい。
天気も良く、素晴らしい景色だった。楽しく歩けた。
土佐清水に入ると薬局の前でおばあちゃんが手招きしている。おばあちゃんは手招きが好きらしい。
薬局に入るとおばあちゃんは色紙を指差す。
何体かのお地蔵さんのイラストと共に
「あなたに出会えて良かった」
と書いてあった。昨晩見せてもらった管理人のお兄さんの絵だった。また会ったな。
「流行ってます」
と言いながらおばあちゃんはマスクをくれた。
「男の子だから」
とわざわざ探して青色のタオルをくれた。
別れ際
「嬉しかったよ〜」
と見送ってくれた。
ずんずん歩く。今日は進めそうだ。結局32キロ歩いて終了。明日は雨らしい。
2009年11月15日
三十七番〜3


寒いのでなかなか身体が動かない。遅めのテント撤収。三枚重ね着をして出発した。いままでだと一時間も歩けば半袖になっていたが当分長袖で歩く。
ビニールハウスの間を歩いていると若いお兄ちゃんに声をかけられた。
「どちらからですか?」
「岡山です。このハウスは何を作ってるの?」
「パイナップルです」
「高知でも作れるんだ」
「灯油使いますけどね」
パイナップルはヤシの木の一番上になるのではない。ビニールハウスで作れるのだから。
話を聞くと市が作っているパイナップルらしい。これから売り出すつもりらしい。どこも特産品を作り出すのに必死だ。外貨獲得ならぬ他県のお金を獲得するために。
また暫し歩くと
「遍路さん割引あります。」
と煙突から煙を出している建物に看板が掛かっていた。何だろうと近づいてみると民宿と一緒になったお風呂屋だった。
「天然水を薪で沸かしてます。」
煙の理由が解った。入ってみることにした。店内は小綺麗なカフェみたいな雰囲気。雑貨やパンフレットが置いてあり、泊まり客なのか何人か人もいる。
「やばい。僕の嫌いなエコでロハスでインテリで、それをオシャレにしてる感じだ。」
内心思ったが仕方ないので入らせて頂いた。
お湯は本当に軟らかい感じで長く浸かっていても嫌にならなかった。昔の人はこんなお風呂に入ってたのか。羽毛布団にくるまれている様な感じだった。とにかく家庭の風呂とも温泉とも違った。
お風呂に感謝して歩き始める。後少しで足摺岬だ。海岸を歩く遍路道もあった。天気がいい。海も綺麗だ。道を掃除してるおばちゃんにあいさつをする。
「こんにちは」
「こんにちは。荷物大きくて大変やね〜」
「よく言われるんですよ〜」
「ちょっと待っとき。柿あげるから」
おばあちゃんはヒョコヒョコ歩いて家に帰り、ヒョコヒョコ柿を持って来てくれた。
「女の子はな〜真面目で地味な娘にしときよ。」
急にである。よっぽど騙されそうに見えたのだろうか。
「若い時は綺麗な娘がいいけどな〜皆歳をとるんや」「綺麗にしとる娘は綺麗にするために金使うんや。」
「恋はせないかん」
本当に唐突だ。
「おばあちゃんは恋したん?」
切り返す。
「したで〜大阪に出ててな〜結婚も出来ない人に恋したんや〜」
面白くない話だとそれ以上は話してくれなかった。
よく見ると昔は綺麗な人だったんだろうなという顔の造りをしていた。想像だが大阪で派手に過ごして不倫でもしたのだろうか。子どももいないと言っていた。恋に破れて土佐に帰って来たのだろうか。まだ大昔のその人を想っているのだろうか。
「地味な娘がいい」
と言うのは自己反省も込めた話なのか。
「おばあちゃんの言ったこと思い出して歩き。」
そう言われて別れた。おばあちゃんに終始愁いは見えなかった。大阪時代を忘れてはないが苦しくもない。情念は鎮められたのだろう。
時間的に足摺岬の寺に行けたが足摺岬でテントを張るのは止めようと思っていた。室戸岬の時の様な風が吹いていると思ったからだ。
四国には善根宿という宿泊施設がある。歩き遍路の為の施設なのだか無料または格安な料金で宿泊が出来る。今日はそこに泊めて頂くことにした。
管理人をしているらしいお兄ちゃんに声をかけて泊めて頂くようにした。
話をしていると絵描きさんらしい。絵を売りながら旅をしているが今はここで管理人のような生活をしているとのこと。
「ここは薪で沸かした風呂があるよ」
まただ。
沸かす所を見せてもらった。釜に薪くべて湯を沸かす。
「ポコッポコッポコッ」
と気泡が立つ。時間がかかる。何人か入ると冷めてくるので、最初は熱めに沸かすらしい。今日は風呂三昧な1日だった。
明日はついに足摺岬の予定。
2009年11月14日
三十七番〜2


朝食は無料サービスらしい。いつもならここぞとばかりに食い溜めをするが、今朝はおかわりをしなかった。食にムラがあると逆に疲れる。
今日は四万十川を渡し船で渡るつもりだ。荷造りをしてフロントで渡し船の発着所を聞く。地図ももらい、いざ出発。
四万十川沿いを河口に向けて歩く。昨日の雨のせいか四万十川は濁っていた。日本一の清流も形無しである。河口付近では川一面に沢山の杭が打ち込んであった。あれは何だろう。
発着所付近に着いた。しかし場所がよく解らない。
「すいません〜」
歩いてたおばちゃんに聞くことにした。
「渡し船やな?あっちや」質問を投げ掛ける前に答えてくれた。
発着所には誰も居なかったので看板に書いてある番号に電話をした。
「あの〜渡し船をお願いしたいんですけど」
「あ〜今日は運休なんよ〜看板見なかった?」
「え?」
困った。ここまで7キロ歩いて来た。橋があるところまでまた7キロ戻らないといけない。
「ちょっと待ってな」
電話が切れる。
「ジリリリリ〜ン」
「はい」
「車で対岸まで送ってあげるわ〜そこで待ってて〜」2分後、軽四が来た。
「いやいや〜すいませんね〜昨日のシケで防波堤が流されて湾内に波が入って来てるんよ〜」
よく見ると湾内に物凄く大きい波が入って来ていた。「復旧しようにもまだ波があって手が出せないんよ〜」
なるほど。考えたこともなかった。海のシケで進めなくなるなんて。いかに日頃陸路のことしかを意識してないのか良く解った。
車に乗った。この旅初の車である。あの若い坊さんなら
「乗るんですか〜修行になりませんよ〜」
って顔するんだろうな。
僕は根に持つタイプだ。
車は早い。一時間半かかった道を数分で走る。ITとタッグを組んで人の生活のテンポを速めるわけだ。
「そうそう。あの杭は何ですか?」
「海苔の養殖よ〜」
「へ〜」
道の脇を歩き遍路の方が歩いていた。運転手さんが声をかける。もっと海苔の話を聞きたかったが諦めた。
「渡し船は今日運休なんですよ〜対岸まで送りますけど乗られますか?」
定年退職されたくらいの方だった。三人で数分のドライブ。
「昔からあった渡し船は何年か前に廃止になって、今は地元の有志が集まってやってるんです〜」
「空海も渡し船で行ったみたいですしね〜残さないと〜」
「色々な思惑が各々にこっちが遍路道ですと言ってますけどね」
遍路道に関しては色々政治的な動きもあるんだろう。
対岸に到着し、歩き遍路の方と歩き始める。珍しく長い時間を一緒に歩いた。高度成長期の頃の話、どう思って働いていたか。
「拡大していくのが当たり前だと本気で思ってた。」
「仕事は面白かったし生活も豊かになっていった。」
「家は省みなかったけど誰もそれに文句は言わなかった。それだけの給料があったんだろうね。」
「じゃ〜マイホームパパって概念は経済はもう拡大しないって世代の概念かもしれないですね〜」
「それ面白いね〜」
そんな話をしながら歩いた。
「僕はね。キリスト教と民主主義が一緒になったものに騙されたと思ってる。」
会話の中でそんなことを言っていた。要はアメリカのことだろう。
「騙されたんじゃなくて、只の農民の武家コンプレックスですよ」
とは言えなかった。
農民の武家への憧れがアメリカナイズという形と合致して経済を成長させた。本当に騙されてたら日本的経営なんて出てこない。この人も日本を豊かにしてくれた一人だ。
20キロほど進んだ辺りから僕のペースが落ち始め別れた。今日は浜辺で野宿。
今日は袋麺じゃなく。生麺のうどんです。
2009年11月13日
三十七番〜1

淡々と歩く。誰とも出会わない。面白くない。出会うのは龍馬と空海ばかり。
少しお二人に物申そう。
「悪態垂れてよかですか?」
「龍馬さん。貴方は現代ではプー太郎ってカテゴリーに入ります。暗殺事件の新聞記事だとこうなります。〈坂本龍馬さん(32歳・住所不定・無職)が昨夜未明何者かによって殺害されました。死因は頭部損傷に因る出血性のショック死とみられる〉」
「空海さん。貴方は銅像では小綺麗な格好してますけど、本当はもっと小汚なかったんでしょ?臭かったんでしょ?ねぇ?ねぇ?」
そんな罰当たりなことを考えながら歩いた。悪意はないです。
雨、雨、雨…
20キロを歩いて今日は終了。明日は四万十川を渡ります。晴れるといいな。
2009年11月12日
三十七番


三十七番に着くとその彼が門前の商店でお経を読んでいた。そう言えば昨晩、飛び込み営業みたいにして托鉢をしてると言ってたな。
「ピーンポーン」
「般若心経を読ませて下さい」
「摩可般若〜…」
「チャリ〜ン」
手にしたお椀にお金を入れてもらう。
きっとこんな流れだろう。たくましい。
飛び込みで営業をしてた頃を思い出す。
彼のお経が終わりあいさつ。
「おはよ〜」
「たくましいね」
彼はニヤケ笑い。
「時間ある?」
と彼。
「あるよ」
と答えるとパンとみかんを分けてくれた。ありがたい。
参門から境内が少し見えた。銀杏の落葉が一面に敷き詰められてとても綺麗だった。
納経を終え暫し彼とおしゃべり。
「悩みある?」
と彼。
「朝晩寒いこと」
「そういうことじゃなくて〜」
彼はカミングアウトを始めた。話を一通り聞いた。
「もっと悩んだらいいやん」とだけ。
話の途中で夫婦連れのお遍路さんに声をかけられた。
「バイク遍路ですか?」
「いえ。歩きです。」
どうも歩いてる様に見えないらしい。インド哲学の彼は歩きに見えるらしい。これは大問題だ。
そろそろ出発。インド哲学の彼は荷物の整理をするらしく、もう少し境内にいるとのこと。
一人で歩き出す。県道を歩き、たまには山道のへんろ道に入りまた歩く。
夕方頃にやっと海が見えた。今日は海沿いの公園で野宿。人とあまり話さなかった1日だった。
2009年11月11日
三十六番〜2


朝のなって外を見ると曇ってはいるが雨はあがっていた。
「歩けるな」
出発の準備をして歩き始める。今日は七子峠を越えなければならない。自転車で四国を一周したとき一番キツかった峠だ。自転車に乗ったままでは登れず、押して歩いた峠だ。歩きでも息を切らせながら登った。
まずは峠の麓を目指す。国道を歩く。この辺りの国道は歩道があまり整備されておらず、真横を車が減速もせずに通過する。トラックなどの大型車では通過の際の風に身体が煽られる。気疲れする道だ。
ヒヤヒヤしながらも何とか七子峠の麓に着く。地元のおばあちゃんが、お茶と煎餅と七子峠のパンフレットをくれた。このパンフレットは自治体が作ってるらしい。今回僕が通るつもりのルートは添蚯蚓(そえみみず)と言う名前らしい。ミミズがはった跡のようにくねくね曲がりくねっているからそう呼ぶらしい。中世から重要な街道だったらしい。
山道であり七子峠に向う道なので不安に思っていた。しかし、多少昨日の雨で流れた小枝や小石が道に散乱して歩きにくかった程度で登り勾配などは歩き安い方だった。休憩無しで登りきることが出来た。肩透かしである。
七子峠から少し歩いて今日は終了。山の中なので冷えそうだ。温かくして寝よう。