2009年11月10日
三十六番〜1
今朝は曇り。雨になりそうな気配。昨晩、雨の音で何度か目が覚めた。泊めて頂いた休憩所は8月位に新しく出来たらしい。綺麗で木の香りがまだしている。屋根があり、樹脂製の壁もある。雨を気にせず寝ることが出来た。
テントの撤収をしていると、おばあちゃんが朝ごはんを持って来てくれた。ゆで卵とみかんとお茶とたい焼き。ありがたい。
「ありがとうございます」
「あんたを見てると息子みたいでな〜」
「夜、一人で寂しくなかった?」
話を続けると、どうやら息子さんが他県の学校に行ってたらしい。もう何年も前の話。一人で生活を始めた息子を心配するおばあちゃんの気持ちはまだ残っていて僕にお接待をさせた。
息子を無くして休憩所を始めた女性もいた。
男は連れ合い。女は子ども。逃れようのない苦しみの種子か。
最近はあまりガイドブックを見ない。矢印と方向で進む。今日は歩き始めてすぐ山道だった。前もって県道を確認して進めばもっと楽だったんだろう。まぁ〜いい。
山道を登って下りるとお不動があった。水を補給し進む。
不動から二時間ほど歩くと市街地に入った。今にも雨が降りそうだ。このまま進むと長い山道を雨の中進むことになる。コンビニがあったので様子を見る。
案の定土砂降り。暫く様子を見るため本屋に。雨はさらに強くなっている。岡山では台風の時の様な降り方だ。
ゴアテックスのレインウェアを無理して買えば良かったと思った。
今日は諦めて本屋で時間を潰して宿へ。
明日はどうなるか。朝の天気次第。
テントの撤収をしていると、おばあちゃんが朝ごはんを持って来てくれた。ゆで卵とみかんとお茶とたい焼き。ありがたい。
「ありがとうございます」
「あんたを見てると息子みたいでな〜」
「夜、一人で寂しくなかった?」
話を続けると、どうやら息子さんが他県の学校に行ってたらしい。もう何年も前の話。一人で生活を始めた息子を心配するおばあちゃんの気持ちはまだ残っていて僕にお接待をさせた。
息子を無くして休憩所を始めた女性もいた。
男は連れ合い。女は子ども。逃れようのない苦しみの種子か。
最近はあまりガイドブックを見ない。矢印と方向で進む。今日は歩き始めてすぐ山道だった。前もって県道を確認して進めばもっと楽だったんだろう。まぁ〜いい。
山道を登って下りるとお不動があった。水を補給し進む。
不動から二時間ほど歩くと市街地に入った。今にも雨が降りそうだ。このまま進むと長い山道を雨の中進むことになる。コンビニがあったので様子を見る。
案の定土砂降り。暫く様子を見るため本屋に。雨はさらに強くなっている。岡山では台風の時の様な降り方だ。
ゴアテックスのレインウェアを無理して買えば良かったと思った。
今日は諦めて本屋で時間を潰して宿へ。
明日はどうなるか。朝の天気次第。
2009年11月09日
三十六番

休憩所には大概ノートが置いてあり休憩した遍路がお礼のメーッセジを残すシステムになっている。それ以外にも
「〜さん。元気に歩いてますか?お互い頑張りましょう!!」
などの途中まで一緒に歩いき後ろから来ているだろう者への励ましの言葉などが綴ってある。中には便所の落書きレベルのものもあるが。
そのノートを眺めているとおじいちゃんが缶コーヒーを接待してくれた。
「一人で歩きよるんか?」「そうですよ〜」
「はぁ?」
少し耳が遠いようだ。
「そうですよ!!」
今度は通じた。しかし、おじいちゃんは一人で話を進める。聞き取れない。話をこっちのペースにもってこようと
「昔のお遍路さんはどんな感じだったんですか?!!」
質問をすると
「ワシも車で回ってるんや〜」
と違う答えが返ってくる。これを30分ほど続けた。おじいちゃんの話で分かったのは
「車での遍路の寝泊まりはコンビニでやってる」
「閏年の遍路は逆打ちでやる」
「亡くなった妻の為にお遍路をしてる」
長年の同士を喪うってのはどんな苦しみなのだろうか。まだまだ僕には解らない。その苦しみの名を愛別離苦とただ発音出来るだけだ。
亡くなった連れ合いの供養の為にお遍路をするって話は今のところ男からしか聞かない。女からは聞いたことがない。
おじいちゃんにお札を渡しお礼のを言いながら握手をして別れた。
三十六番には問題無く到着。三十六番の前は沼になっている。昔話で鴨猟をするような沼だ。沼の脇に桜並樹があった。一本だけ狂い咲きしちゃった木があった。パンクな桜である。
三十六番から三十七番を空海は船で行ったらしい。納経所の若い坊さんにそのことを聞くと
「10キロを一時間でいきます。空海も船を使ったらしいですからね〜」
とその言い方に少しカチンときた。この旅初の生きてる人間へのカチンである。前回のカチンは険しい山道ばかり歩きたがる空海にであった。
その言い方は「船使うんですか〜歩かないんですか〜修行に成りませんよ〜」と小バカにした感じの対応に聞こえた。そう聞こえる自分に問題ありだが。
船に乗った。
「いや〜湾内は穏やかで山も色付き始めて綺麗だ〜船を選んだ僕は幸せ者だ〜」
目的の船着き場まで楽しめた。船頭に話しかけまくって必要以上に楽しんだ。
それから陸路を少し行き良い野宿地が見つかったので今日は終了。
2009年11月08日
三十四番〜三十五番

こちらも出発の準備。靴下の穴が大きくなってきている。どこかで買わないと。高い靴下だったのに。
歩き始めてる。平地が続く。楽だ。
三十四番まであっさり着いた。納経所でビスコを頂いた。
「嬉しい〜」
と声が出てしまった。
納経所のおばあちゃんは笑ってた。
ここ数日、荷物についてよく声をかけられる。
「大きい荷物やな〜なんキロや〜?」
「多分20キロくらい」
と答える。小学生くらいだ。
「いや〜大変やわ〜頑張って〜」
荷物がいい会話のきっかけになってくれている。
三十五番を目指して歩く。仁淀川に架かる橋を渡る。綺麗な川だ。水が凄く澄んでいる。ここに来るまでの用水路も綺麗で水量も多かった。洗濯をするおばあちゃんもいた。僕は流れる水のある風景が好きだ。溜まっている水はあまり好きではない。町の中を綺麗な水が流れてそこに生き物が泳いでたらなにか嬉しくなる。琵琶湖の北部にも行ってみたい。
三十五番は最後にプチ遍路ころがしがあった。途中で荷物になるが一袋100円のみかんを買ってしまった。日頃果物は殆ど食べないがすっかりみかん好きだ。今だけかもしれないが。
下って今日は終了。汗だくの1日だった。
2009年11月07日
三十一番〜三十三番


歩き始めて直ぐにコスモス畑があった。一面ピンク色。それを眺めながら歩く。昨日に引き続き荷物が重く感じる。休憩が多くなる。視線が下向きになり、標識を見落とす。道を間違えた。大回りをして三十一番へ。
お経を唱えていると、一緒に焼山寺を登ったおじいちゃんがいた。
「縁がありますね〜」
「大分先を行ってると思ってた。」
「はぁはぁ〜ゆっくり歩いてます〜」
前にもしたやり取りをした。
おじいちゃんは区切り打ちで今日が最終日らしい。
「もう会うこともないね」「お元気で」
とお互い声をかけて別れた。
「元気で」
と言う挨拶はなにか淋しい。
三十二番までの道中、どうしても荷物が肩に食い込むので少しでも軽くしようと頂いたミカンを三つ全て食べた。美味い。ミカンが美味いなんて給食の冷凍ミカン以来だ。一緒に給食を囲んだ皆はどうしているだろうか。
無事に三十二番も到着し、お経をあげ納経へ。納経所には何冊か本が並べてあった。背表紙が並んでいると見てしまう性なので当然見る。読んだことのある著者が原作をしている漫画があって結局最後読んでしまった。
読み終えて出発。三十三番を目指す。この道中は渡船がある。五分たらずの船旅であるが、この旅初の乗り物である。乗り物に乗るのは何日ぶりだろうか。CO2だなんだ言われても、乗り物はやっぱり楽しさを本質的にもっている。
対岸に着き少し歩くと三十三番。今日はここまで。
2009年11月06日
二十九番〜三十番
今日は少し曇り。早朝からテントを撤収。出発。
平地は楽だ足取りは軽い。しかし荷物は凄く重く感じる。何故だろ。荷物が肩に食い込む。
今日は歩き遍路によく会う。5〜6人と挨拶を交わした。何人もの歩き遍路さんに荷物が多すぎると言われた。まぁ〜いい。僕は僕の判断で行く。今はこの荷物もそんなに邪魔には感じていない。重く感じるのは僕に問題があるんだ。
二十九番を打ち終え、三十番に向う途中の接待所に寄る。そこは直産市のようだった。似つかわしくない若いお兄ちゃん達が接待してくれた。
「ありがとうございます。」
「ところでここは農協がやってるんですか?」
「ちがうよ〜」
「自分でやってるんよ〜」「無農薬・低農薬の生産者を探してきて店を開いてるんよ〜」
全く風貌に似つかわしいくない心ある発言である。ヤられた。他にも遍路さんがいたので多くは話せなかったが心に残った。また来て話をしてみたい。
三十番も打ち終え、高知市街地へ野宿地が見つからない。やむ無く宿へ。
今は土佐弁を聞きながら、土佐の味を楽しんでいる。
贅沢だ。
平地は楽だ足取りは軽い。しかし荷物は凄く重く感じる。何故だろ。荷物が肩に食い込む。
今日は歩き遍路によく会う。5〜6人と挨拶を交わした。何人もの歩き遍路さんに荷物が多すぎると言われた。まぁ〜いい。僕は僕の判断で行く。今はこの荷物もそんなに邪魔には感じていない。重く感じるのは僕に問題があるんだ。
二十九番を打ち終え、三十番に向う途中の接待所に寄る。そこは直産市のようだった。似つかわしくない若いお兄ちゃん達が接待してくれた。
「ありがとうございます。」
「ところでここは農協がやってるんですか?」
「ちがうよ〜」
「自分でやってるんよ〜」「無農薬・低農薬の生産者を探してきて店を開いてるんよ〜」
全く風貌に似つかわしいくない心ある発言である。ヤられた。他にも遍路さんがいたので多くは話せなかったが心に残った。また来て話をしてみたい。
三十番も打ち終え、高知市街地へ野宿地が見つからない。やむ無く宿へ。
今は土佐弁を聞きながら、土佐の味を楽しんでいる。
贅沢だ。
2009年11月05日
二十八番


安芸市市街地を過ぎると自転車道に入る。ここも昔自転車で走った道だ。真夏に半袖で走った為、両腕が火傷になり赤く腫れ上がり、水ぶくれだらけになったのを思い出す。
自転車道は信号もなく、車も走っていないので歩きやすい。只ひたすら歩いた。途中海岸沿いを歩く。もう見慣れ始めた海だが、やっぱり綺麗だと感じる。
接待場や道の駅で休憩を取りながら二十八番を目指す。ギリギリ17時に間に合いそう。結局二十八番に到着したのは16:30だった。
ミカンや飴の接待を頂いた。
しかし、高知を進むごとに歩き遍路さんに会わなくなってきた。何故だろか?
今日は良く歩いた。マメを少し大きくしてしまった。
2009年11月04日
二十七番
今朝は本当に冷えた。河原にテントを張ったのがいけなかったのか。白銀カイロもパワー不足だった。寝袋の上にポンチョを掛布団の様にしたが、まだまだ冷える。これからはもっと重ね着をして寝よう。そしてもう河原にはテントを張るのは止めよう。
早々にテントを撤収。まだ寒い。三枚重ね着をして出発。
今日は山登りの予定だ。暫くは平地を行く。歩き始めて右足の付け根に痛みを感じた。ちょうどコンビニがあったので歩みを止める。トイレを済ませて歩き始めると右足の痛みは無くなっていた。準備体操は必要のようだ。
山道口に着くと下ってきた歩き遍路に出会った。
「遍路道はキツイけど、舗装された車道はそうでもないよ」
この言葉が道中悩みになる。
暫くは車道を行く。遍路道の矢印が見えてきた。
「どうするべきか?いままで通り山道を行くべきか。それとも…」
車道を選んだ。車道でも十分にシンドイ。なんども休みながら、4キロを登りきる。二十七番は完全な山寺である。小さな平地に寺が建っている。車道が出来るまでは大変な生活だっただろう。
登りと同じ道を下る。同じ道は少しイヤだ。
昼過ぎに国道に合流し、夕方まで国道を歩く。今日も海は穏やかな表情だ。
安芸市市街地に入ると後ろから声をかけられた。
自転車に乗ったおじいちゃんだった。
いきなり
「お遍路さんを増やすにはどうしたらいいと思う?」
唐突だ。
「1日2日で小分けにしてお参りできるプランをもっと沢山提示すればいいと思います」
と答えた。
次はこっちの番だ。
「なんでそんなことを聞いてるの?」
「お遍路さんを沢山呼んで、地域興しを考えてるんや〜」
それから高知の話を聞かせてもらった。言葉はマルクス用語満載だったが内容は次の様なものだった。三菱財閥の創設者のこと。高知の山間部は紙漉きが盛んで幕末には工場の様な形が始まっていたこと。工業化・近代化の目が高知の山の中で芽吹いていたのである。開国に進んだ人々の理由が少し分かった様な気がした。薩摩は砂糖。長州は塩。土佐は紙だったのだ。紙は近代という社会システムを作った一つの要因でもあり面白いと思った。紙を作ることで培った土佐の人々の目は、欧米で紙が作り上げた近代を見ることが出来たのである。人には文化や歴史という所以があり、文化や歴史には土地という所以がある。他所の土地の制度をそのまま使うことは出来ない。都市と言うシステムを背負い、世代が断絶した為歴史を知らない現代日本人はどうなのだろうか?歴史を知らないと言うことは面識のない人の想いが解らないということだ。サンタクロースを信じられない子どもに少し似てるなと考えさせられた。
そんな話をしておじいちゃんと別れた。
今日は良く歩いた。明日もひとつは打ちたい。
早々にテントを撤収。まだ寒い。三枚重ね着をして出発。
今日は山登りの予定だ。暫くは平地を行く。歩き始めて右足の付け根に痛みを感じた。ちょうどコンビニがあったので歩みを止める。トイレを済ませて歩き始めると右足の痛みは無くなっていた。準備体操は必要のようだ。
山道口に着くと下ってきた歩き遍路に出会った。
「遍路道はキツイけど、舗装された車道はそうでもないよ」
この言葉が道中悩みになる。
暫くは車道を行く。遍路道の矢印が見えてきた。
「どうするべきか?いままで通り山道を行くべきか。それとも…」
車道を選んだ。車道でも十分にシンドイ。なんども休みながら、4キロを登りきる。二十七番は完全な山寺である。小さな平地に寺が建っている。車道が出来るまでは大変な生活だっただろう。
登りと同じ道を下る。同じ道は少しイヤだ。
昼過ぎに国道に合流し、夕方まで国道を歩く。今日も海は穏やかな表情だ。
安芸市市街地に入ると後ろから声をかけられた。
自転車に乗ったおじいちゃんだった。
いきなり
「お遍路さんを増やすにはどうしたらいいと思う?」
唐突だ。
「1日2日で小分けにしてお参りできるプランをもっと沢山提示すればいいと思います」
と答えた。
次はこっちの番だ。
「なんでそんなことを聞いてるの?」
「お遍路さんを沢山呼んで、地域興しを考えてるんや〜」
それから高知の話を聞かせてもらった。言葉はマルクス用語満載だったが内容は次の様なものだった。三菱財閥の創設者のこと。高知の山間部は紙漉きが盛んで幕末には工場の様な形が始まっていたこと。工業化・近代化の目が高知の山の中で芽吹いていたのである。開国に進んだ人々の理由が少し分かった様な気がした。薩摩は砂糖。長州は塩。土佐は紙だったのだ。紙は近代という社会システムを作った一つの要因でもあり面白いと思った。紙を作ることで培った土佐の人々の目は、欧米で紙が作り上げた近代を見ることが出来たのである。人には文化や歴史という所以があり、文化や歴史には土地という所以がある。他所の土地の制度をそのまま使うことは出来ない。都市と言うシステムを背負い、世代が断絶した為歴史を知らない現代日本人はどうなのだろうか?歴史を知らないと言うことは面識のない人の想いが解らないということだ。サンタクロースを信じられない子どもに少し似てるなと考えさせられた。
そんな話をしておじいちゃんと別れた。
今日は良く歩いた。明日もひとつは打ちたい。
2009年11月03日
二十六番〜

早々にテントを撤収し出発する。歩きやすい。風も気温も丁度いい。
淡々と歩く。やっと歩くことに集中出来るようになってきた気がする。
海沿いを歩いているが、室戸岬までの様子とは違い民家もあり、人もいる。
漁港では老人たちが日向ぼっこをしていた。
国道は海沿いを走っているのだが、遍路の道は峠を越えるコースになっていた。どちらでも行けるのだが敢えて峠越えのコースを選んだ。山道に入ると今までの山道とは違うことに気づく。綺麗に落葉が掃いてあり、新しく階段を作った形跡があった。
「誰かが小まめに手入れをしてくれているんだな」
そう思って歩いていると
「ザッ ザッ ザッ」
と箒で掃く音がしてきた。おじいちゃんが山道を掃いていた。手入れをしている人を発見した。
「こんにちは。おじいちゃんがこの道を手入れしとん?凄い歩きやすいわ〜」
「そうじゃ〜ワシがやってるんじゃ」
「一人で?」
「一人やな〜運動がてら妻の供養も兼ねてやってるんや〜ワシはもう歩けないからお参りの代わりに手入れしてるんや〜」
「お遍路さんが、喜んで歩いてくれるから嬉しいんや〜」
話はまだ続く。
「この道はな〜忘れられてた道なんや〜それをな宮崎さんって人が復活させて、ワシが手入れさせてもらってるんや」
「最初は土が削れて、木が覆い被さって、歩けないような状態やったんや。木を切って石畳を敷いて階段を作ってをしたんや〜」
宮崎さんってのは遍路協会の偉い人らしい。帰ったら調べてみよう。
忘れられ最初は獣道の様になっていた道に手を入れ歩きやすくしてきたおじいちゃんはとても誇らしげだった。
別れ際に
「元気でな」
と言われた。
「おじいちゃんも」
と。
この別れの挨拶になにか「ドキッ」とした。今まで、さっき出会ったばかりの人とそんな挨拶をしたことが無かった。もうこのおじいちゃんには会えないんだなと思った。
峠を越え、海沿いに出る。また車に追い抜かれながら淡々と歩く。今日の目的地の温泉に到着し入浴。
温泉の隣の公園にテントを張り野宿。今晩も冷えるらしい。
2009年11月02日
二十四番〜二十六番


二十四番に到着。物凄い風だ。この風に一日中悩まされることになる。
参門を潜ると面白いものがあった。立札には次の様にあった。大きな岩を石で叩くと鐘の様に響くと。勿論叩いてみる。
「カーン」
少し金属音の様に高めの音が確かに響いた。見た目とのギャップに少し驚く。構造を推測するような野望ことはせずにしておこう。
しかし、何よりも驚くのは岩の表面に出来た、窪みである。その窪みは打ち付ける石を丁度はめ込める位の大きさである。
きっと長い時間をかけて多くの人々が石を岩に打ち付けて削れて窪んだのだろう。一人が打ち付ける回数はせいぜい2〜3回ほどだろう。各々一人の労力は微々たるものだが人数が集まれば岩を削ってしまう。
二十四番を下り、昨日までとは違い北上を始める。今日も人に会わない。
二十五番も無事に打ち終え、二十六番を目指す。相変わらず物凄い風だ。杖が前に出ない程の向かい風もあった。
二十六番も山寺だ。今日は二山を越えることになった。延々と車道を登る。車道は勾配が緩いので登りやすい。
二十六番に到着。お経を読み、納経を済ませて下山。今度は未舗装の山道。倒木が2〜3ヶ所あり通りづらい。なんとか国道と合流し、野宿地へ。
強風の中でのテント張りは難しい。
明日は冷えるらしい。防寒に気を付けよう。
2009年11月01日
二十三番〜4


暫く歩くと集落が現れた。漁村のようだった。集落の中でタバコの自動販売機を見つける。タスポを持っていないので普通なら素通りだが、自動販売機の隣におじさんがいた。チャンスである。
「タスポお持ちですか?」「いいよ」
一言で察してくれて、貸していただけた。ただ本当はやってはいけない行為だ。
小銭を入れようと財布をみると小銭がない。
「あっ。大きい紙幣しかないっ。」
「いいよ、いいよ」
と言いながら、おじさんは小銭を自動販売機に入れてくれた。結果的に接待して頂いてしまった。
「本当にありがとうございます。」
御大師のお札を渡してお礼を言った。
食べ物や飲み物ではない趣向品を接待して頂いたのは始めてだ。大切に喫まさせて頂こう。
この辺りの集落は国道を挟んで海に面している。国道の海側には大きな堤防があり、集落や国道からは海が見えない。せっかくなので堤防に登り、その上を歩く。やはりこちらの方が気分が良い。
揚々と歩いていると、雲が拡がり、雨が降りだした。
このあと延々と雨の中をずぶ濡れになりながら歩いた。
今日は疲れた。明日は遂に二十四番を打つ予定だ。