2009年12月17日
帰宅後数日経って

荷物を計るとやはり20キロを越えていた。
横峯で出会った山に入ると言っていた坊さんは
「君はそうやって背負って生きて行くんだね」
と言っていた。
遍路はよく捨てる旅だと言われる。確かに背負えないものは捨てた方が良いだろう。捨てるのは簡単だ。しかし、これ位は問題ないと、背負い歩くことも意味があるのではないだろうか。「だって男の子なんだもん」
翌日、縁があって岡山をゆっくり観光することが出来た。
記憶の片隅にあった。ミニ八十八ヶ所にも行けた。短い距離に寺の名前が刻まれた石碑が建っており、それを廻る。30分も掛からない。
「ここで寝たな〜」
「ここで出会った人からの接待はありがたかった〜」
「ここで叱られた〜」
色々思い出される。讃岐から海を渡って30キロ程内陸の地にも空海信仰はあった。旅に出る前では何かあるな〜程度だったものが見える様になっていた。ひょっとしたらここの記憶が僕を歩かせたのかもしれない。
昔の人は人間を「機」の字で現していた。「機」は機織り機のこと。縦糸と横糸が交わり布で出来上がっていく。縦糸は歴史。横糸は同じ時間の世界。交わる所が人間。
遍路道も過去多くの人が歩いたから道が出来、これからも多くの人が歩くだろう。その道を整備し接待をして歩き遍路を支えてくれる人々が沢山いた。その人達の交わる所で僕は歩かせてもらえた。具体的な形で「機」が解った。人と人が会うことを「機会」。人の微妙な心待ちを「機微」。只のチャンスや心の変化ではない。やっぱり信仰は解らないが想いは解る様な気がする。
一応これが最後の更新になります。寒さに慣れたかもと言いながら、コタツの中で更新中。足はまだ痛い。白地に赤で書かれた小さな看板ににやたら目が行きます。カーブミラーや電信柱の目線の高さ辺りを見てしまいます。主食だったチョコレートが大好きに成りました。車の運転は少し慣れてきました。
本当に少数の人に向けて書いていた説明不足のblogを読んでくださった皆様ありがとうございました。
またナチュラムというアウトドアショップのblogにも関わらず、なんの道具やアウトドア情報もないblogをナチュラムから読んでくださった皆様ありがとうございました。
旅で出会った人、ネットで繋がった人、面白い旅になりました。ありがとう。
四国ありがとう。
僕はヤッピーな旅が出来た。
ただそれだけ。
2009年12月12日
八十七番〜八十八番結願


八十七番を打ち終える。この辺りで雨は上り霧雨に変わっていた。遍路サロンを目指して歩く。
遍路サロンに着くとおじいちゃんが対応してくれた。「この天候で女体山に登るのは無謀ですか?」
「止めとき」
「空海の通った女体山に登らない道が本来や」
「でもな。真言宗密教に立戻るなら女体山の道や」
「公的機関の人間には言えないこともあるんや」
「自己責任や」
決まった。
一番危険な岩場まで行ってみることにした。駄目なら山でテントを張ればいい。最後なんだから。
霧の中を進む。いつものような山道だ。霧の湿度のせいか気温も高く感じる。汗は出るが「ゼイゼイ」って程ではない。
横峯で会った坊さんが言ってた。
「女体を越えて、つまり性欲の向こうが結願なんて象徴的だね〜」
民俗学学者ならこう言うのか
「女体山の険しい山道(参道・産道)を通過し産まれ変わることの象徴だ」
どちらの解釈もありだろう。女を越える。女性の根っ子は子どもを想う優しさだと思う。優しは「人を憂う」こと。四国の優しさも、人を心配するという根っ子は同じものだと思う。その四国の優しさを越えてシャバに帰ることの象徴と僕は思いたい。
「女体山まで後1.4キロ」の看板が見えた。
後少しで頂上。岩場が見えてきた。見たことのある岩。岡山の山の岩によく似ている。この岩なら少々濡れていても滑らないのは経験済み。
「いける。結願しよう」
岩場に手をかけ肢体全部でよじ登る。動物の様に全身で登る。
頂上に着いた。晴天なら見晴らしもいいのだろう。しかし霧の中何も見えない。
早々に降り始める。結願と書かれた札が目立ち始める。
「ふとした瞬間に視線がぶつかる」
ゴール前の定番ソングを口ずさみならがら降る。
看板に書かれた八十八番までの距離が段々とカウントダウンされていく。それにしたがい、耳に聞こえて来る音が変化していく。
「カンカンカン」
と言う木魚の音。集団でお経を唱える声。車の音。人の喋る声。木々に遮られ目には見えないが。確かに八十八番に近づいているのが観える。
境内に入った。団体さんが帰り始めていた。後は誰も居なかった。
般若心経を読み。
「願わくばこの功徳をもって…仏道に…」
と、この旅で始めて唱える。納経を終えて僕の遍路の旅は誰もいない静かな境内で終わった。
参門を出て結願したことを伝える人に伝える。若干忙しい。バスが来るまであずまやで待っていたがこの旅一番の寒さだった。
さぁ〜帰ろう〜
明日は途中知り合った遍路さんが結願するだろう。頑張って!!
2009年12月10日
八十四番〜八十六番

それは帰れる人間は帰った所で仏性を発揮しろという意味だろう。行者であれ参拝者であれ共同体に戻れということだと思う。
巡礼であれ、修行であれ、旅は非日常だ。非日常には始まりと終りをハッキリさせないといけない。どんな遊びにも始まりと終りがある。
舞台や映画は幕が上がり、そして下がる。レースであればグリーンシグナルが光り、チェッカーフラッグが振られる。祭であれば始まりの神事、終わりの神事がある。ギャンブルであれば手持ちが無くなれば終りだ。
コレクションには終わりはない。どこまでも集め続けないといけない。もっともっとの地獄だ。
四国を輪の形にしてしまうと終わりが無くなる。帰れなくなった遍路さんを沢山見た。四国の輪から抜けられなくなった人々を。
色々な事情があって帰れなくなったのだろう。帰ることが出来る場所がある人間は終りをハッキリさせないといけないと思う。四国の暖かさの中で延々と遍路をするわけにはいかないのだから。
という訳で八十八番を打ち終えたら帰ります。本当はほとんど暖かい布団で早く寝たいだけ。
「いいな〜いいな〜人間っていいな〜皆で仲良くぽかぽかお風呂〜暖かい布団で眠るんだろな〜僕も帰ろうお家に帰ろう〜でんでんでんぐり返らずにバイバイバイ」
いい歌だ。アンパンマンマーチと同じ位に。
今朝は曇り。雨になるかもしれない。昨晩はなかなか眠れなかった。八十四番に向かう。市街地は矢印を一度見失うとなかなか見つけられない。山を目指して歩く。距離はさほどでもないが勾配がキツイ。寒いが汗がでる。納経を終えて降り。キツイ。急な降りの山道。
平地に降りて次の山を目指す。八十五番。途中うどんを食べて登りに望む。
登りの途中、ヨモギ餅を頂いた。
「昨日二人の野宿遍路が登って行ったわ」
よく聞くと途中で会った二人だった。もう結願してるかもしれない。ここの登り降りは楽だった。
最後に平地を行き八十六番へ。途中道の駅に寄る。ここは自転車で来た時、初日の野宿をした所だ。懐かしい。酒に酔って目覚めたら河原だったという経験を除けば、そこが人生初の野宿だった。
さら進み今日は八十六番で終わり。
明日、天気次第で結願まで行くかも。天気次第。
雨が降ったら女体山には入りません。遍路サロンで一晩待ちます。
このblogがランキングで80位になってました。それがどうかもよく分かりません。他のblogサイトと比べて圧倒的に分母は少ないと思います。でも読んでくれている皆さん、ありがとうございます。
2009年12月09日
八十一番〜八十三番

「猪が来るから気を付けてね」
と言われたが何も現れなかった。早めに目は覚めたが山道なのでパンをかじりながら日の出を待つ。
明るくなってきた。眼下の街並みは霧と朝日で薄いオレンジ色に染まっている。そう言えば溜め池が増えてきた。溜め池脇に建つレイクサイドなんちゃらって建物はいただけない。どぶ川脇のリバーサイドなんちゃらも同様。
昨日ここの遍路ころがしはキツいから水を沢山持って行きなさいと聞いていたが、なんてことなかった。只腹が減る。パンはカロリーの割にエネルギーが持続しない。やっぱりご飯がいい。
パン喰えど
腹が鳴るなり
白峯寺
納経を済ませ次へ。山道を行く。色づきを終え落ちたい葉達も皆落ちた様だ。落葉の道。
八十二番には牛鬼の伝説があり、退治された牛鬼の角が納められたらしい。牛鬼の銅像もあった。完全に円谷プロクオリティだった。牛はよく化け物にされる。牛鬼だけでなく、件、ミノタウロス…。それだけ農業主体だった人間の生活に欠かせない動物だったのだろう。戦いの馬。生活の牛。
八十二番を後にして山を降る。山の麓は造園屋だらけだった。盆栽通りと書いてある。
この辺りから天候が怪しくなり、ポツポツし始める。エネルギーも切れかけ。うどん屋を発見し迷わず入店。大盛りで300円。美味い。安い。
炭水化物を補充し足取りが軽くなる。もう少しで八十三番。
「一番から歩きよんか?」
塾の前で声をかけられた。「お茶でも飲んでいき」
40代後半のおじさんだった。塾を経営しているらしい。勉強は日々の訓練だと言っていた。お金で何とかなるものでもないとも。教育っていいなと思った。飴やらチョコレートやら色々くれた。
塾を後にして八十三番へ。境内で子どもが遊んでいた。寺らしい寺だ。
今日はまだ進めそうなので進めるだけ進む。何度も来たことのある高松市街地を北上。ドン・キホーテ、ジョイフル、ローソン等々を通過し高松港あたりまできた。フェリーに乗って25キロも歩けば家。東に曲がって屋島の麓辺りまできた。今日はここでストップ。
八十八番で止めるか一番まで戻るか考え中。
2009年12月08日
七十六番〜八十番


昨日ギリギリ間に合わなかった七十六番を納経開始とともに打つ。境内に参拝者は誰も居ない。七十七番へ。
七十七番を打ち終え出るとジョイフルがあった。300円で豚汁と卵かけご飯を食べる。安いのか高いのかよく解らない。
七十八番、七十九番と今日は淡々と進む。何故か今更足の小指に水脹れが出来た。小指が2倍位の大きさになっている。
今日ストップ予定の八十番でバス遍路の団体さんに遭遇。大師堂と納経所が一緒になっているためごったがえしている。ここは個人の納経を優先してくれるため早く終わった。延々と待たされた所もあった。添乗員さんも大変だ。バス遍路の団体さんと遭遇した時の納経所は納経を書く人、個人の遍路、バス遍路の添乗員の三様の都合がぶつかるから結構面白い。団体で拝んでる裏では添乗員は必死だ。
今日はここまで残り八ヶ所。もうすぐ。明日はいきなり遍路ころがしからだ。
2009年12月07日
七十番〜七十五番


いい天気。陽射しが強いせいか寒さもさほど感じない。
1時間ほどで七十番。八十八ヶ所の寺と言えど参拝者が居ない時は本当に誰も居ない。凛とした境内に白い息を吐く一人。
ここにも空海の銅像があった。他の所とここの銅像の違いは歩いている姿だということ。右足が一歩前に出ているだけで親近感が湧く。
僕の様な現代版凡夫には写実的で解りやすい形の方が伝わる。
師走ならぬ師歩。ちょっと可愛い。12月だ。納経を済ませて七十一番へ
僕の持っているガイドブックからは行程の高低差を読むことがほとんど出来ない。参門を抜け到着と思うと
「ここから階段530程」
の看板が。グッと堪えて階段を登る。園児の様に数えながら登る。
納経所が見えた。参拝者のおじさんが
「本堂はまだ上。頑張って。」
また登る。
「ジャンケン。ポン。」
パーで勝ったとして
「パ・イ・ナ・ツ・プ・ル」
一人でやった。
何度も思わせ振りなお堂を通り過ぎる度。イラっとくる。ようやく本堂に到着。お経を詠んで降る。
「ゴゥ〜ン、ウォン〜ウォン〜」
いつもは鐘は鳴らさないがここでは鳴らした。
「あぁ〜すっきりした」
その鳴らし方は絶対間違ってると言われそうな心待ちで鳴らしてやった。涅槃の讃岐でも凡夫である僕はこの程度。
い加減、不動明王に斬られそうだ。
ここは空海が学問をした所らしい。学問はやはり山の中か。
この後はトントントンと札所が続く。いいペースであるけた。
ここからはメモ
この旅で考えてること。仏性。谷川の声と山の色に何を聞くのか。
「時の流れと空の色に何も望まない」様に
「素顔で泣いて笑う君にエナジーを燃やすだけ」なんです。
似てるのか。
瀬戸大橋が見えた。
2009年12月06日
六十七番〜六十九番
屋根と壁。布団と毛布。素晴らしい発明品。よく眠れた。外は寒い。
二人より少しだけ早く出立。一時間もしないうちに追い抜かれる。新たな手袋の必要性に悩む。
数キロで六十七番。曇り空。白い息。
今日はネットでやりとりがある遍路さんが結願するらしい。おめでとうだ。
六十八番と六十九番は同じ場所にある。納経所も一ヶ所。なにか変な感じだ。今日はこの辺りで止めた。
ネットで結願の記事を読む。無事草鞋を履いて山を登り結願したようだ。次は僕の番だ。
明日は進もう。
二人より少しだけ早く出立。一時間もしないうちに追い抜かれる。新たな手袋の必要性に悩む。
数キロで六十七番。曇り空。白い息。
今日はネットでやりとりがある遍路さんが結願するらしい。おめでとうだ。
六十八番と六十九番は同じ場所にある。納経所も一ヶ所。なにか変な感じだ。今日はこの辺りで止めた。
ネットで結願の記事を読む。無事草鞋を履いて山を登り結願したようだ。次は僕の番だ。
明日は進もう。
2009年12月05日
六十六番
「すみさん、今何時だい?」
深夜2時頃に声がかかる。隣で寝ている坊さんの声だ。
「2時ですよ」
「じゃ、もう少し寝るかい。」
本当はもう出立したそうな勢いだ。
4時頃にもう一度声がかかり出立することにした。坊さんが朝のお経を詠んでいる間にテントを撤収。慌ただしい。
真っ暗な山の中を歩く。昨日の疲れか全く足が進まない。
「頑張れ頑張れ」
と坊さんは発破をかけてくる。それなりに頑張っているのだが。
17キロ程歩いた所でようよう追い付けなくなってきた。ここで別れることになり握手をして別れた。色々思うこともあった。いい勉強になった。結局禅問答の答えは解らず仕舞い。
「仏教も色々だ」
一人で六十六番を目指して歩く。朝から何も食べてない。お菓子類も食べきっていた。途中で気付いたが手袋も片方なくなっていた。天気はいいがお腹は鳴る。10キロの坂道を登り六十六番に着いた。
とりあえず食べ物を探す。ロープウェイ乗り場にコアラのマーチを発見。コアラの眉毛も確認せずに口に流し込む。
「コアラのマーチは飲み物です」
納経を済ませて今度は降る。この辺りから天候が怪しくなり始めた。
どうにか集落に入り近所のおばあちゃんに寝れそうな所を聞くとお堂を教えてくれた。屋根と壁がある。外は凄い風だ。良かった。
ハロゲンヒーターもあり万全である。
後から二人遍路さんが来られた。これまでの道中話が盛り上がる。お遍路あるあるネタだ。
夕食に袋麺を食べて今日は終了。今日は暖かく眠れそうだ。
言ってみてもいいですか?
おさしみやさい。
深夜2時頃に声がかかる。隣で寝ている坊さんの声だ。
「2時ですよ」
「じゃ、もう少し寝るかい。」
本当はもう出立したそうな勢いだ。
4時頃にもう一度声がかかり出立することにした。坊さんが朝のお経を詠んでいる間にテントを撤収。慌ただしい。
真っ暗な山の中を歩く。昨日の疲れか全く足が進まない。
「頑張れ頑張れ」
と坊さんは発破をかけてくる。それなりに頑張っているのだが。
17キロ程歩いた所でようよう追い付けなくなってきた。ここで別れることになり握手をして別れた。色々思うこともあった。いい勉強になった。結局禅問答の答えは解らず仕舞い。
「仏教も色々だ」
一人で六十六番を目指して歩く。朝から何も食べてない。お菓子類も食べきっていた。途中で気付いたが手袋も片方なくなっていた。天気はいいがお腹は鳴る。10キロの坂道を登り六十六番に着いた。
とりあえず食べ物を探す。ロープウェイ乗り場にコアラのマーチを発見。コアラの眉毛も確認せずに口に流し込む。
「コアラのマーチは飲み物です」
納経を済ませて今度は降る。この辺りから天候が怪しくなり始めた。
どうにか集落に入り近所のおばあちゃんに寝れそうな所を聞くとお堂を教えてくれた。屋根と壁がある。外は凄い風だ。良かった。
ハロゲンヒーターもあり万全である。
後から二人遍路さんが来られた。これまでの道中話が盛り上がる。お遍路あるあるネタだ。
夕食に袋麺を食べて今日は終了。今日は暖かく眠れそうだ。
言ってみてもいいですか?
おさしみやさい。
2009年12月04日
六十五番

「根本を平等と差別でいうと?」
質問の意味が解らない。何を聞かれているのか?少しづつヒントらしきものは出てくるがやっぱり質問の意味が解らない。
口惜しいのでついて行く。ペースはお坊さんの方が断然早い。途中途中で待っていてくれる。結局45キロ歩いた。6時過ぎに六十五番に着き無理を行って納経して貰った。
「この時間に山に入って遭難する人が何人もいるんだ」
「常識ある行動を」
と叱られた。ごもっとも。
最後に山に登る時に夜景が見えた。
「ここに登ってきて初めて綺麗だと思えるんだ」
「海が燃えてるね」
「せいざんうんぽす」
「も同じじゃないか」
「こういう気持ちでいつもいないといけない」
個人の経験としてはよく分かる。しかしこれがどう社会と関係していくのかが全く解らない。
「根本を平等と差別で行ったら」
とどう繋がるのかも解らない。口惜しいので後数日付き合ってみる。
僕は今行者の遍路をしてます。
「ただ、この星のお坊さんのイビキは結構うるさい」
2009年12月03日
六十番〜六十四番
「テントを少し避けてくれませんか?」
その声で目が覚めた。外は雨だった。ここから先は山道なのでおじさん遍路は明るくなるまで休憩をしにきたようだ。
よく喋るおじさんだった。話を聞いているとお坊さんらしい。檀家寺から離れて山の中で生活を始める覚悟を決めに来たらしい。今日はこのお坊さんと1日歩くことになる。
「一緒に登ろう」
あれよあれよと同行することになった。色々話をしていると今の寺に不満があり山で暮らす決心をしたようだ。一緒に登り始めたが大分ペースが違う為に置いていかれる。しかしお坊さんは参門前で待っていた。
「一緒に登ろうと行ったからには待つ」
そう言っていた。
六十番を打ち終え山道を降る。道を間違えて車道を延々と歩くことになった。山は綺麗に色付いていた。
「どうだ?一緒にやらねぇか?」
「はぁ?」
「一緒に山を開墾して畑耕さないか?」
「そんなの即答できませんよ」
即答すべきなのは解っていた。その後も勧誘は続くのだが。
こんなことを言われた。
「君には型も価値観もないんだね」
「よっぽど他人に対して自信がないんだな」
どれも身に覚えがある言葉だった。
「俺の所で1年手伝って道場に行ってどこかの住職になればいい」
「生活は保証する」
僕は坊さんになることに何か抵抗がある。信仰にも抵抗がある。
このお坊さん臨済宗のお偉いさんらしい。それを捨てて山に入るらしい。
「君は形を身に付けないといけない」
そうも言われた。
これも身に覚えがある言葉だ。
今日はそのお坊さんと同じあずま屋で寝ることに。明日も勧誘されるだろう。
その声で目が覚めた。外は雨だった。ここから先は山道なのでおじさん遍路は明るくなるまで休憩をしにきたようだ。
よく喋るおじさんだった。話を聞いているとお坊さんらしい。檀家寺から離れて山の中で生活を始める覚悟を決めに来たらしい。今日はこのお坊さんと1日歩くことになる。
「一緒に登ろう」
あれよあれよと同行することになった。色々話をしていると今の寺に不満があり山で暮らす決心をしたようだ。一緒に登り始めたが大分ペースが違う為に置いていかれる。しかしお坊さんは参門前で待っていた。
「一緒に登ろうと行ったからには待つ」
そう言っていた。
六十番を打ち終え山道を降る。道を間違えて車道を延々と歩くことになった。山は綺麗に色付いていた。
「どうだ?一緒にやらねぇか?」
「はぁ?」
「一緒に山を開墾して畑耕さないか?」
「そんなの即答できませんよ」
即答すべきなのは解っていた。その後も勧誘は続くのだが。
こんなことを言われた。
「君には型も価値観もないんだね」
「よっぽど他人に対して自信がないんだな」
どれも身に覚えがある言葉だった。
「俺の所で1年手伝って道場に行ってどこかの住職になればいい」
「生活は保証する」
僕は坊さんになることに何か抵抗がある。信仰にも抵抗がある。
このお坊さん臨済宗のお偉いさんらしい。それを捨てて山に入るらしい。
「君は形を身に付けないといけない」
そうも言われた。
これも身に覚えがある言葉だ。
今日はそのお坊さんと同じあずま屋で寝ることに。明日も勧誘されるだろう。
2009年12月02日
五十九番〜1


暗い内から歩き出す。坂を登り切ると海から朝日が登ってきたところだった。
「今〜見てるもののよに〜変わらないものもある〜♪」
「僕とあの先の海へ〜朝日を見に行こうよ〜♪」
SMAPを口ずさむ。
この時は気づいてなかったが道を間違えていた。間違ったお陰で綺麗な朝日が見れた。間違ってみるもんだ。
道を進む。市街地に入った。この頃には間違いに気づいて修正を考えていた。
ここ数日活字が恋しくなってきてたので本屋で本を二冊買ってしまった。読めるのだろうか?
道を修正しながら進む。小さいパン屋があり店先のベンチにおばあちゃんが座っていた。僕も座り休憩。おばあちゃんはバスを待っているらしい。
「この道を真っ直ぐ行き」
何度も何度も同じことを教えてくれた。
女子高生の集団が袋いっぱいにパンを買って店先でお喋り。
「今日お弁当食べれなくて残したわ〜」
その女子高生は今僕の目の前でパンを食べている。
「このパン凄いカロリーやろな〜」
目の前で今そのパンを食べている。
後は恋愛の話、誰々が格好いい、そんな話をして帰って行った。なんか懐かしい光景だった。部活帰りによく買い食いしながら話をしてたな。
最後におばあちゃんが200円を手渡してくれた。言ってみてもいいですか?
「ヤッピー」
お礼を言って歩き出す。
14時を過ぎると夕方の様な日になる。影が延び出す。
「延びた影を〜歩道にならべ〜」
今日は歌が口から漏れる日。
最後の登りは
「Fight!歩き出す君のことを〜歩かないヤツは笑うだろう〜Fight!冷たい風の中を震えながら登っていけ〜」
で閉めた。
明日は大変な降りが待っているらしい。気を付けて進もう。
お腹すいた。
2009年12月01日
五十五番〜五十九番


今朝も快晴。遍路日和。昨日時間切れで行けなかった五十五番を目指す。と言ってもすぐ近く。ものの数分で到着。五十五番は南光坊。寺の文字が名に入ってない。ちょっと不思議な感じだ。納経を済ませ次へ。今度は山側を目指して歩く。五十六番も楽々到着。この辺りは札所が固まっている。五十八番まで山に向かいながら3キロずつ。
五十八番手前から山道に入る。池の周りを廻るように道が続く。気持ちがいい。
久しぶりの山道の登り、息が切れて汗が吹き出る。今日は暑いくらいの陽射しだ。五十八番からは今治市が一望出来眺めがいい。ここの通夜堂には温泉があるらしいが時間がまだ早いので先に進む。
五十九番は海側。北上する。五十九番では今日初めて団体の参拝者達と会った。集団でお経を唱えている。彼らは何を大師に望むのだろうか。
走る姿の大師像ではないが握手が出来る大師像があったので握手。歌好きなおじいちゃんを思い出す。口癖は
「今のお前なんか死ねぇ〜」
だ。
五十九番を打ち終えまだ歩けそうなので進む。途中保育園のバスとすれ違う。園児がすし詰め状態。皆で手をふってくれた。満面の笑みで降り返す。彼らは何をサンタクロースに望むのだろうか。
道の駅を発見。ここで寝ることにした。40代前半のサラリーマンが話かけてきた。
「全部歩いてるん?」
「そうですよ」
五十九番辺りに住んでるらしい。
「いつもここで仕事帰りにタバコ吸って帰ってるんだ」
「家で吸うと娘が嫌がってね」
「ホタル族ですね〜」
家族の話をしていた。2年前に奥さんを亡くされたらしい。
「今でも思い出しますか?」
「最初は服を見ただけで涙がボロボロ出てた」
「でも人間白状なもんで思い出すスパンが段々と長くなって来てるな〜忘れたわけではないけど」
「成功すると思ってた手術でダメやったもんやから〜最初は家のことなんも解らんかったわ」
「実印の場所とかね〜聞くに聞けないし」
自分の精神状態、仕事、子育て、諸々の手続き、壮絶な日々だったろう。労を労う言葉くらいしか出てこない。知識は役に立ちそうもない。
「ボロボロやったけど母親を亡くした子どものこと考えたらボロボロのままでおれんかった」
その後も娘さんの話や色々な話をした。
「娘と電話で話してると声が読めそっくりで嫁と話してるみたいやわ〜」
今はそのそっくりな声で娘さんに怒られてるらしい。
最後に
「病院から持って帰った荷物は何も手を着けずにそのままや」
と言ってた。
何故安気な遍路の僕に話をしたのだろうかと不思議に思った。また愛別離苦。
「仕方ない。誰が悪いわけでもない。文句を言う相手も居ない。」
この言葉が会話の中で印象に残った。目には哀愁があったが彼は明らかにしたんだ。
遠くに高い山が見える石鎚山か。