2009年12月12日
八十七番〜八十八番結願


八十七番を打ち終える。この辺りで雨は上り霧雨に変わっていた。遍路サロンを目指して歩く。
遍路サロンに着くとおじいちゃんが対応してくれた。「この天候で女体山に登るのは無謀ですか?」
「止めとき」
「空海の通った女体山に登らない道が本来や」
「でもな。真言宗密教に立戻るなら女体山の道や」
「公的機関の人間には言えないこともあるんや」
「自己責任や」
決まった。
一番危険な岩場まで行ってみることにした。駄目なら山でテントを張ればいい。最後なんだから。
霧の中を進む。いつものような山道だ。霧の湿度のせいか気温も高く感じる。汗は出るが「ゼイゼイ」って程ではない。
横峯で会った坊さんが言ってた。
「女体を越えて、つまり性欲の向こうが結願なんて象徴的だね〜」
民俗学学者ならこう言うのか
「女体山の険しい山道(参道・産道)を通過し産まれ変わることの象徴だ」
どちらの解釈もありだろう。女を越える。女性の根っ子は子どもを想う優しさだと思う。優しは「人を憂う」こと。四国の優しさも、人を心配するという根っ子は同じものだと思う。その四国の優しさを越えてシャバに帰ることの象徴と僕は思いたい。
「女体山まで後1.4キロ」の看板が見えた。
後少しで頂上。岩場が見えてきた。見たことのある岩。岡山の山の岩によく似ている。この岩なら少々濡れていても滑らないのは経験済み。
「いける。結願しよう」
岩場に手をかけ肢体全部でよじ登る。動物の様に全身で登る。
頂上に着いた。晴天なら見晴らしもいいのだろう。しかし霧の中何も見えない。
早々に降り始める。結願と書かれた札が目立ち始める。
「ふとした瞬間に視線がぶつかる」
ゴール前の定番ソングを口ずさみならがら降る。
看板に書かれた八十八番までの距離が段々とカウントダウンされていく。それにしたがい、耳に聞こえて来る音が変化していく。
「カンカンカン」
と言う木魚の音。集団でお経を唱える声。車の音。人の喋る声。木々に遮られ目には見えないが。確かに八十八番に近づいているのが観える。
境内に入った。団体さんが帰り始めていた。後は誰も居なかった。
般若心経を読み。
「願わくばこの功徳をもって…仏道に…」
と、この旅で始めて唱える。納経を終えて僕の遍路の旅は誰もいない静かな境内で終わった。
参門を出て結願したことを伝える人に伝える。若干忙しい。バスが来るまであずまやで待っていたがこの旅一番の寒さだった。
さぁ〜帰ろう〜
明日は途中知り合った遍路さんが結願するだろう。頑張って!!