2009年11月28日
四十九番〜五十一番

テントを撤収し出立。この辺りは札所の間隔が短い。次々と寺が現れる。
一時間も歩かない内に四十九番。郊外の住宅地の様な所を歩く。他人の家の庭を見ながら歩く。もう関係ないのに見てしまう。一度身に付いたモノの見方は消えない。昔誰かが言ってた。庭だけをジロジロ見ながら歩く人は端から見れば変な人だ。
四十九番を打ち終え、五十番へ。この間もあっという間。少し慌ただしい。
多くの偉人が四国を旅している様だ。空海だけではない。行基、空也、一遍、聖徳太子まで。どこまで本当か解らない。史実と伝説の境界が曖昧でグラデーションの様になっているんだろう。境界は問題ではないのだろう。
僕の名字を初めて考えた人がこの辺りに住んでたらしい。都落ちしたその人、真水が備前沖で切れてしまい苦し紛れに海をかき混ぜたら真水が湧き出して助かって愛媛に着いたらしい。真水が出たことが岡山の水島という地名の由来になったらしい。
「この水の可なること、予が里よりす」
この漢字四文字を取って名字にしたらしい。
生物学的にはルーツじゃないだろうけど名字を考えた人が住んでた土地だ。遍路を初めてした人も同じ名字らしい。一遍も。ほとんど伝説だろうけど同じ名字を持った人間が歩いてここまで来た。縁だ。不思議だ。無記だ。
五十番から五十一番に向かう途中おじいちゃんに会った。
「大変やね〜」
「コンビニも自販機もありますから〜」
「そやな〜ワシが廻ったころは何もなかったわ」
終戦、しばらくしてから二周半したらしい。
「特攻隊に居てな〜」
「終戦で特攻はせんかった」
「なんで廻ろと思ったの?」
「一杯人が死んで、価値がごろっと変わって」
「いてもたってもいられなくなって廻りだしたんや」
「戦争終わってお遍路さん増えた?」
「終戦してしばらくたったら増えたな〜」
「沢山殺した人も知り合いが死んだ人も、そんな人が罪滅ぼしや供養の為に歩いたんや〜」
「一杯いたわ〜」
いてもたってもいられなくて歩き出す。この気持ちもまだ僕には解らない。論理的には理解出来る。
子どもの手術に対して百度参りをする親。干ばつで雨を願う農家。男の子がどうしても欲しかった母親。
本当に人間がどうこう出来ないことに人は願うしかない。何がどうこう出来て何がどうこう出来ないのか分かり難いと人は何も諦められない。
おじいちゃんと別れ五十一番に到着。参道には沢山のお店がある。正月の稲荷神社みたいでワクワクする。おばあちゃんに声をかけられリンゴを貰った。
「青森産のリンゴよ〜皮ごと食べてね〜」
ワックスごと食べます。
次は道後温泉本館だ。
「なんてことなかったな」
町は温泉街って感じでワクワクした。
進む程に都会になっていく。クリスマスムード。忘れてた。
アウトドアショップによって靴を交換した。ここまでありがとう。ニューバランス。