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Posted by naturum at

2009年11月21日

四十一番〜四十二番

今朝は曇り。次第に晴れてくる。頗る体調が悪い。身体が重い。とぼとぼ歩く。宇和島を抜ける少し前に後ろから僕を引き留める声。
「お兄さん、お兄さん」
振り返るとおばちゃんが500円玉を差し出していた。現金を頂くのはこれが二度目。ありがたく頂き、お礼を言う。現金を頂くのは少し気が引ける。納経代にさせていただこう。
暫く行くと今夜はおじいちゃんに声をかけられた。
「どちらからですか?」
「岡山です」
そんなやり取りをした後、おじいちゃんは道を説明してくれだした。
「踏み切りを渡って右に曲がって………」
「この行き方が一番近いんや」
やたら詳しい説明である。只でさえ手順を覚えるのが苦手な僕に記憶出来る訳がない。話をしていると元タクシードライバーだったらしい。詳しいはずだ。
おじいちゃんの説明通りに歩いてみる。二三手行くといつも通り矢印を頼りに進み出す。無理でした。
だら〜とした登り道を歩き、盆地に入る。寒い。
四十一番手前の食堂で食事にする。食堂のおばちゃんがブリのアラ炊きを接待してくれた。美味かった。
店の壁には沢山の写真が張ってあり政治家の管直人や格闘家の須藤元気が遍路をし、食堂に立ち寄った時の写真があった。
四十一番を打ち終え歩き出す。この辺りから顔が熱く熱っぽくなりだした。
とぼとぼ四十二番を目指し、その辺りでテントを張るつもりで歩いた。
四十二番に到着。おじさんに声をかけられる。
「ずっと歩いてるんか?」
「そうですよ」
「ようやるわ」
「そのエネルギーを御国の為に使わないと」
体調が悪いせいかイラっときたがごもっともである。言葉尻を捕まえて反論するのも大人気ない。
「そうですね〜シャバの為にね〜」
とだけ答えた。
納経所テントを張るのにいい場所を聞くと参門前の東屋だと言われた。見に行くと殆ど壁がなく風に晒されそうなので諦めて歩き出す。ハンドブックでは次の東屋までそうはない。日もまだ明るい。峠越えはあるがトンネルもあるし車道を通れば直ぐだろう。
考えが甘かった。延々と登り道。ハンドブックにイラっとしてしまった。トンネルは頂上手前にちょろっとあっただけだった。結局、思っていた倍の時間がかかってしまった。麓の休憩所にテントを張り、今日は終了。
イライラした一日だった。
  

Posted by sumi at 18:53Comments(1)行程編

2009年11月20日

四十番〜1

誰かが掃除をしている箒の音で目が覚めた。まだ外は暗い。トイレに行く。音はすれど姿は見えず。境内の所々に掃除道具が置いてある。
寝床に戻り支度を始める。戸が開きおじいちゃんが入ってきた。
「ここでおにぎり食べさせてください」
「どうぞどうぞ」
おにぎりを食べ始める。どうやら音の根はこのおじいちゃんらしい。落ち着いたのかお喋りが始まった。
「どこからですか〜?」
「岡山ですよ〜」
「岡山言ったら鶴瓶の番組に出てたな〜」
「僕はその土地に縁があるんですよ〜」
特に話は膨らまず、おじいちゃんはまた掃除をしに境内に戻って行った。
時々、寺の境内を地元の人らしき人達が掃除をしている。やれること、気にかかることがあるのはいいことだ。おじいちゃんは生き生きしていた。
自分の支度も出来、一晩の寝床と参門に頭をさげ出立。
寒い。直ぐにコンビニがあり、ホットコーヒーを目当てに入店。入口右手に耳当てを発見。近寄り何度も手に取り試着しては戻し、試着しては戻しを暫し繰り返す。購入を決定。
何も言ってないのに店員さんはすぐに使えるようにタグを外してくれた。悩んでる姿を見られていたらしい。気遣いに感謝。
さあ。ネックウォーマー、手袋、耳当てを手に入れ、呼吸の白いを見ながら歩く。快適。後はUNIQLOのフリースかヒートテックだ。
今日は柏峠を越える予定。甘く見ていた。意外とキツイ。防寒具を全部脱ぎ登る。道中みかんを頂いた。
降り終えるとだんだんと市街地に入ってきた。見慣れたコンビニもチェーン店も増えてきた。
宇和島に入ると見たことのある店ばかりだ。岡山を歩いてるのと大差ない。高知の様な旅情は消えた。
途中UNIQLOの前を通ったがヒートテックを物色する元気は既になく素通り。
今日は宇和島市街で止め。40キロ位歩いた。
  

Posted by sumi at 23:48Comments(0)行程編

2009年11月19日

四十番

今朝は曇り。気温も低めだ。遅めに出発。久々のローソンでソイジョイを買い貯める。僕はこれが好きだ。何味でも「ばちこ〜い」である。ローソンを出て直ぐに山道に入る。この山道の頂上が高知県と愛媛県の県境だ。長かった高知。さよなら高知。また来るよ高知。(特に竜串)
休み過ぎたか調子が出ない。身体が重い。休憩すると寒い。ネックウォーマーが威力を発揮してくれた。数日前まで半袖で歩いていたが今日は終日三枚来ている。この分だとダウンが出て来るのも時間の問題だろう。
この山道は所々で集落とぶつかる。おじさんに挨拶。
「でっかい荷物やね〜」
いつものパターンだ。
「やり過ぎましたわ〜はぁはぁ〜」
いつものパターンで返す。
「最近は若い子も多いわ〜」
「そうなんですか〜何年前位からですか?」
「5〜6年前かなぁ〜」
「へぇ〜」
5〜6年前から若い遍路が増えている。何が理由だろ?歩きながら考えたが解らなかった。
暫く歩くと牛が何頭かいた。茶色のジャージー系の牛に見えた。岡山の蒜山にいるやつだ。子牛が泥の中を跳ねていた。
頂上に到着。この山道は昔重要な街道だったらしく、関所もあったらしい。茶屋の跡等もあった。
愛媛県に入る。修行の土佐から菩提の伊予へ。急に山道が整備され歩き安くなる。標識も細かくある。県によって違うみたいだ。
身体は重いまま歩き続け四十番へ。団体さんと鉢合わせになる。久しぶりの光景。おばちゃん軍団に絡まれる。
おばちゃんA「歩き?凄い荷物ね〜」
おばちゃんB「ここまで何日掛かった?」
おばちゃんC「野宿?今日は何処で寝るの?」
おばちゃんABC+何人かのおばちゃんが同時に質問をし始める。空海じゃなくて聖徳太子を求められる。答えるだけ答えたが
最後には




「格好ええわ〜拝んどこっ!!」


もう訳が解らない。
しかしディズニーランドのミッキーマウスの気持ちが少し解った。僕もまた彼女達の旅の思い出の一部なのだ。
おばちゃん嵐が止み、静かになった境内で納経を済ませ、今夜は四十番にお世話になることになった。
最後にドッと疲れた一日だった。

  

Posted by sumi at 19:38Comments(2)行程編

2009年11月18日

三十九番

今朝は凄くいい天気。しかし歩く気は殆どない。今日は行って戻る行程になる。その後に山道に入ることになる。昼からの山道は嫌なので行って戻って終わりにすることにした。荷物を預け身軽になって歩き出す。しかし荷物を担いでいてもいなくても歩くスピードはあまり変わらない。不思議だ。
途中おばあちゃんに挨拶。「おはようございます」
「お寺に行くの?」
「そうですよ」
「私も行くんや」
少し一緒に歩くことにした。
「医者に健康の為に歩きなさいって言われてるんよ」「でも面倒くさいが〜」
「一緒に歩く人がいて良かったわ〜」
ホスト役らしい。
色々話を聞いた。足摺岬辺りは昔は舗装されてなかったらしい。それはどこでも同じだか。道が綺麗な白い砂利で覆われていたらしい。想像すると青い空と海に山の緑、その中を白い道が伸びている風景。もったいない綺麗な風景だ。一部だけでも復活させて欲しい。
山道に入りおばあちゃんと別れる。
三十九番に到着。地味な寺だ。樹齢500年のイブキがあるらしい。500年前、日本で言えば戦国時代で信長などの登場まで後少し、欧州ではルター、カルビンなどの宗教改革が始まりかけた頃。日本も欧州も混乱の時代だ。近代の息吹が芽吹き出した時代。そんな大昔、でも僕らが生きている時代の始まりかけた頃から生きてる木だった。
復路は気が滅入る。頻繁に休憩を取りながら帰った。途中手袋とネックウォーマーを買った。新装備。

今日は終日晴天だった。明日から峠越えが続く。
ヘルペスが出てきた。  

Posted by sumi at 18:24Comments(2)行程編

2009年11月17日

三十八番〜1

昨晩から雨が予報通りに降りだした。朝の段階でどしゃ降りと感じるほどの雨だった。少し様子をみることにした。
9時半ほどになって霧雨になってきた。出発しよう。今日は宿毛市まで行きたい。40キロほどの道程だ。今まで最長。
一晩の寝床に頭を下げ歩き始める。この辺りは観光地で変わった形の岩などの自然が見所らしい。
只々歩く。雨は殆ど気にならない程度だ。
残り15キロまで順調。この辺りから日が落ち真っ暗になる。寒い。ザックから防寒着を出す元気ももうなかった。耳が冷たい。
どうにか目的の町に着き今日は終了。
僕の身体に40キロはキツかった。  

Posted by sumi at 22:48Comments(1)行程編

2009年11月16日

三十八番

朝誰かがゴソゴソする音で目が覚めた。管理人のお兄さんが朝食を作り始めた様だ。
布団と毛布で暖かく眠れた。布団と毛布は凄い発明品だ。
僕も起きて身仕度を始める。お兄さんは絵を描きに行くらしい。7時にはお互い別れを言い出発した。
6キロほどで三十八番だ。直ぐに到着する。納経を済ませ直ぐに歩き出した。一般的なルートは三十八番から引き返し東側から三十九番を目指すらしいが僕は西側から三十九番を目指すことにした。景色がとても綺麗らしい。
天気も良く、素晴らしい景色だった。楽しく歩けた。
土佐清水に入ると薬局の前でおばあちゃんが手招きしている。おばあちゃんは手招きが好きらしい。
薬局に入るとおばあちゃんは色紙を指差す。
何体かのお地蔵さんのイラストと共に
「あなたに出会えて良かった」
と書いてあった。昨晩見せてもらった管理人のお兄さんの絵だった。また会ったな。
「流行ってます」
と言いながらおばあちゃんはマスクをくれた。
「男の子だから」
とわざわざ探して青色のタオルをくれた。
別れ際
「嬉しかったよ〜」
と見送ってくれた。

ずんずん歩く。今日は進めそうだ。結局32キロ歩いて終了。明日は雨らしい。
  

Posted by sumi at 22:06Comments(1)行程編

2009年11月15日

三十七番〜3

今朝は良く冷えた。銀色のシートを掛布団の様にして寝袋の上から掛けていたのだが、朝銀色のシートが結露して寝袋が濡れてしまっていた。何かいい方法を考えないと。
寒いのでなかなか身体が動かない。遅めのテント撤収。三枚重ね着をして出発した。いままでだと一時間も歩けば半袖になっていたが当分長袖で歩く。
ビニールハウスの間を歩いていると若いお兄ちゃんに声をかけられた。
「どちらからですか?」
「岡山です。このハウスは何を作ってるの?」
「パイナップルです」
「高知でも作れるんだ」
「灯油使いますけどね」
パイナップルはヤシの木の一番上になるのではない。ビニールハウスで作れるのだから。
話を聞くと市が作っているパイナップルらしい。これから売り出すつもりらしい。どこも特産品を作り出すのに必死だ。外貨獲得ならぬ他県のお金を獲得するために。
また暫し歩くと
「遍路さん割引あります。」
と煙突から煙を出している建物に看板が掛かっていた。何だろうと近づいてみると民宿と一緒になったお風呂屋だった。
「天然水を薪で沸かしてます。」
煙の理由が解った。入ってみることにした。店内は小綺麗なカフェみたいな雰囲気。雑貨やパンフレットが置いてあり、泊まり客なのか何人か人もいる。
「やばい。僕の嫌いなエコでロハスでインテリで、それをオシャレにしてる感じだ。」
内心思ったが仕方ないので入らせて頂いた。
お湯は本当に軟らかい感じで長く浸かっていても嫌にならなかった。昔の人はこんなお風呂に入ってたのか。羽毛布団にくるまれている様な感じだった。とにかく家庭の風呂とも温泉とも違った。
お風呂に感謝して歩き始める。後少しで足摺岬だ。海岸を歩く遍路道もあった。天気がいい。海も綺麗だ。道を掃除してるおばちゃんにあいさつをする。
「こんにちは」
「こんにちは。荷物大きくて大変やね〜」
「よく言われるんですよ〜」
「ちょっと待っとき。柿あげるから」
おばあちゃんはヒョコヒョコ歩いて家に帰り、ヒョコヒョコ柿を持って来てくれた。
「女の子はな〜真面目で地味な娘にしときよ。」
急にである。よっぽど騙されそうに見えたのだろうか。
「若い時は綺麗な娘がいいけどな〜皆歳をとるんや」「綺麗にしとる娘は綺麗にするために金使うんや。」
「恋はせないかん」
本当に唐突だ。
「おばあちゃんは恋したん?」
切り返す。
「したで〜大阪に出ててな〜結婚も出来ない人に恋したんや〜」
面白くない話だとそれ以上は話してくれなかった。
よく見ると昔は綺麗な人だったんだろうなという顔の造りをしていた。想像だが大阪で派手に過ごして不倫でもしたのだろうか。子どももいないと言っていた。恋に破れて土佐に帰って来たのだろうか。まだ大昔のその人を想っているのだろうか。
「地味な娘がいい」
と言うのは自己反省も込めた話なのか。
「おばあちゃんの言ったこと思い出して歩き。」
そう言われて別れた。おばあちゃんに終始愁いは見えなかった。大阪時代を忘れてはないが苦しくもない。情念は鎮められたのだろう。
時間的に足摺岬の寺に行けたが足摺岬でテントを張るのは止めようと思っていた。室戸岬の時の様な風が吹いていると思ったからだ。
四国には善根宿という宿泊施設がある。歩き遍路の為の施設なのだか無料または格安な料金で宿泊が出来る。今日はそこに泊めて頂くことにした。
管理人をしているらしいお兄ちゃんに声をかけて泊めて頂くようにした。
話をしていると絵描きさんらしい。絵を売りながら旅をしているが今はここで管理人のような生活をしているとのこと。
「ここは薪で沸かした風呂があるよ」
まただ。
沸かす所を見せてもらった。釜に薪くべて湯を沸かす。
「ポコッポコッポコッ」
と気泡が立つ。時間がかかる。何人か入ると冷めてくるので、最初は熱めに沸かすらしい。今日は風呂三昧な1日だった。

明日はついに足摺岬の予定。
  

Posted by sumi at 21:22Comments(3)行程編

2009年11月14日

三十七番〜2

今日は晴れ。雲がところどころあるが雨にはなりそうにない。雲の位置がかなり低い。冬の空だ。
朝食は無料サービスらしい。いつもならここぞとばかりに食い溜めをするが、今朝はおかわりをしなかった。食にムラがあると逆に疲れる。
今日は四万十川を渡し船で渡るつもりだ。荷造りをしてフロントで渡し船の発着所を聞く。地図ももらい、いざ出発。
四万十川沿いを河口に向けて歩く。昨日の雨のせいか四万十川は濁っていた。日本一の清流も形無しである。河口付近では川一面に沢山の杭が打ち込んであった。あれは何だろう。
発着所付近に着いた。しかし場所がよく解らない。
「すいません〜」
歩いてたおばちゃんに聞くことにした。
「渡し船やな?あっちや」質問を投げ掛ける前に答えてくれた。
発着所には誰も居なかったので看板に書いてある番号に電話をした。
「あの〜渡し船をお願いしたいんですけど」
「あ〜今日は運休なんよ〜看板見なかった?」
「え?」
困った。ここまで7キロ歩いて来た。橋があるところまでまた7キロ戻らないといけない。
「ちょっと待ってな」
電話が切れる。
「ジリリリリ〜ン」
「はい」
「車で対岸まで送ってあげるわ〜そこで待ってて〜」2分後、軽四が来た。
「いやいや〜すいませんね〜昨日のシケで防波堤が流されて湾内に波が入って来てるんよ〜」
よく見ると湾内に物凄く大きい波が入って来ていた。「復旧しようにもまだ波があって手が出せないんよ〜」
なるほど。考えたこともなかった。海のシケで進めなくなるなんて。いかに日頃陸路のことしかを意識してないのか良く解った。

車に乗った。この旅初の車である。あの若い坊さんなら
「乗るんですか〜修行になりませんよ〜」
って顔するんだろうな。
僕は根に持つタイプだ。
車は早い。一時間半かかった道を数分で走る。ITとタッグを組んで人の生活のテンポを速めるわけだ。

「そうそう。あの杭は何ですか?」
「海苔の養殖よ〜」
「へ〜」

道の脇を歩き遍路の方が歩いていた。運転手さんが声をかける。もっと海苔の話を聞きたかったが諦めた。
「渡し船は今日運休なんですよ〜対岸まで送りますけど乗られますか?」

定年退職されたくらいの方だった。三人で数分のドライブ。

「昔からあった渡し船は何年か前に廃止になって、今は地元の有志が集まってやってるんです〜」
「空海も渡し船で行ったみたいですしね〜残さないと〜」
「色々な思惑が各々にこっちが遍路道ですと言ってますけどね」
遍路道に関しては色々政治的な動きもあるんだろう。
対岸に到着し、歩き遍路の方と歩き始める。珍しく長い時間を一緒に歩いた。高度成長期の頃の話、どう思って働いていたか。
「拡大していくのが当たり前だと本気で思ってた。」
「仕事は面白かったし生活も豊かになっていった。」
「家は省みなかったけど誰もそれに文句は言わなかった。それだけの給料があったんだろうね。」

「じゃ〜マイホームパパって概念は経済はもう拡大しないって世代の概念かもしれないですね〜」

「それ面白いね〜」

そんな話をしながら歩いた。
「僕はね。キリスト教と民主主義が一緒になったものに騙されたと思ってる。」
会話の中でそんなことを言っていた。要はアメリカのことだろう。
「騙されたんじゃなくて、只の農民の武家コンプレックスですよ」
とは言えなかった。
農民の武家への憧れがアメリカナイズという形と合致して経済を成長させた。本当に騙されてたら日本的経営なんて出てこない。この人も日本を豊かにしてくれた一人だ。

20キロほど進んだ辺りから僕のペースが落ち始め別れた。今日は浜辺で野宿。

今日は袋麺じゃなく。生麺のうどんです。

  

Posted by sumi at 19:10Comments(1)行程編

2009年11月13日

三十七番〜1

今朝は雨。昨晩から雨だった様だ。東屋にテントを張ったがフライが濡れてしまった。タオルでテントを拭き拭き撤収。歩き始める。
淡々と歩く。誰とも出会わない。面白くない。出会うのは龍馬と空海ばかり。
少しお二人に物申そう。

「悪態垂れてよかですか?」


「龍馬さん。貴方は現代ではプー太郎ってカテゴリーに入ります。暗殺事件の新聞記事だとこうなります。〈坂本龍馬さん(32歳・住所不定・無職)が昨夜未明何者かによって殺害されました。死因は頭部損傷に因る出血性のショック死とみられる〉」


「空海さん。貴方は銅像では小綺麗な格好してますけど、本当はもっと小汚なかったんでしょ?臭かったんでしょ?ねぇ?ねぇ?」


そんな罰当たりなことを考えながら歩いた。悪意はないです。

雨、雨、雨…

20キロを歩いて今日は終了。明日は四万十川を渡ります。晴れるといいな。

  

Posted by sumi at 19:57Comments(1)行程編

2009年11月12日

三十七番

今朝は曇り。いつもの様にテントを撤収。歩き始める。昨晩、宍喰辺りで出会った歩き遍路にあった。インド哲学の彼だ。荷物をスケボーにくくりつけ紐で引っ張って歩くスタイルに変わっていた。アメリカから来ているフォトグラファーに声をかけられ写真を撮られたらしい。
三十七番に着くとその彼が門前の商店でお経を読んでいた。そう言えば昨晩、飛び込み営業みたいにして托鉢をしてると言ってたな。
「ピーンポーン」
「般若心経を読ませて下さい」
「摩可般若〜…」
「チャリ〜ン」
手にしたお椀にお金を入れてもらう。
きっとこんな流れだろう。たくましい。
飛び込みで営業をしてた頃を思い出す。
彼のお経が終わりあいさつ。
「おはよ〜」
「たくましいね」
彼はニヤケ笑い。
「時間ある?」
と彼。
「あるよ」
と答えるとパンとみかんを分けてくれた。ありがたい。
参門から境内が少し見えた。銀杏の落葉が一面に敷き詰められてとても綺麗だった。
納経を終え暫し彼とおしゃべり。
「悩みある?」
と彼。
「朝晩寒いこと」
「そういうことじゃなくて〜」
彼はカミングアウトを始めた。話を一通り聞いた。
「もっと悩んだらいいやん」とだけ。
話の途中で夫婦連れのお遍路さんに声をかけられた。
「バイク遍路ですか?」
「いえ。歩きです。」
どうも歩いてる様に見えないらしい。インド哲学の彼は歩きに見えるらしい。これは大問題だ。
そろそろ出発。インド哲学の彼は荷物の整理をするらしく、もう少し境内にいるとのこと。
一人で歩き出す。県道を歩き、たまには山道のへんろ道に入りまた歩く。
夕方頃にやっと海が見えた。今日は海沿いの公園で野宿。人とあまり話さなかった1日だった。  

Posted by sumi at 18:22Comments(0)行程編

2009年11月11日

三十六番〜2

昨日の雨は凄かった。稲光と音で度々目が覚めた。警報が出ていたらしい。
朝のなって外を見ると曇ってはいるが雨はあがっていた。
「歩けるな」
出発の準備をして歩き始める。今日は七子峠を越えなければならない。自転車で四国を一周したとき一番キツかった峠だ。自転車に乗ったままでは登れず、押して歩いた峠だ。歩きでも息を切らせながら登った。
まずは峠の麓を目指す。国道を歩く。この辺りの国道は歩道があまり整備されておらず、真横を車が減速もせずに通過する。トラックなどの大型車では通過の際の風に身体が煽られる。気疲れする道だ。
ヒヤヒヤしながらも何とか七子峠の麓に着く。地元のおばあちゃんが、お茶と煎餅と七子峠のパンフレットをくれた。このパンフレットは自治体が作ってるらしい。今回僕が通るつもりのルートは添蚯蚓(そえみみず)と言う名前らしい。ミミズがはった跡のようにくねくね曲がりくねっているからそう呼ぶらしい。中世から重要な街道だったらしい。
山道であり七子峠に向う道なので不安に思っていた。しかし、多少昨日の雨で流れた小枝や小石が道に散乱して歩きにくかった程度で登り勾配などは歩き安い方だった。休憩無しで登りきることが出来た。肩透かしである。
七子峠から少し歩いて今日は終了。山の中なので冷えそうだ。温かくして寝よう。
  

Posted by sumi at 19:34Comments(0)行程編

2009年11月10日

三十六番〜1

今朝は曇り。雨になりそうな気配。昨晩、雨の音で何度か目が覚めた。泊めて頂いた休憩所は8月位に新しく出来たらしい。綺麗で木の香りがまだしている。屋根があり、樹脂製の壁もある。雨を気にせず寝ることが出来た。
テントの撤収をしていると、おばあちゃんが朝ごはんを持って来てくれた。ゆで卵とみかんとお茶とたい焼き。ありがたい。
「ありがとうございます」
「あんたを見てると息子みたいでな〜」
「夜、一人で寂しくなかった?」
話を続けると、どうやら息子さんが他県の学校に行ってたらしい。もう何年も前の話。一人で生活を始めた息子を心配するおばあちゃんの気持ちはまだ残っていて僕にお接待をさせた。
息子を無くして休憩所を始めた女性もいた。

男は連れ合い。女は子ども。逃れようのない苦しみの種子か。

最近はあまりガイドブックを見ない。矢印と方向で進む。今日は歩き始めてすぐ山道だった。前もって県道を確認して進めばもっと楽だったんだろう。まぁ〜いい。
山道を登って下りるとお不動があった。水を補給し進む。
不動から二時間ほど歩くと市街地に入った。今にも雨が降りそうだ。このまま進むと長い山道を雨の中進むことになる。コンビニがあったので様子を見る。
案の定土砂降り。暫く様子を見るため本屋に。雨はさらに強くなっている。岡山では台風の時の様な降り方だ。
ゴアテックスのレインウェアを無理して買えば良かったと思った。
今日は諦めて本屋で時間を潰して宿へ。
明日はどうなるか。朝の天気次第。  

Posted by sumi at 19:44Comments(1)行程編

2009年11月09日

三十六番

今朝は曇り。道路が濡れている。夜のうちに雨が降ったようだ。三十六番は三十五番から引き返すような行程になる。仁淀川まで引き返し更に南下。途中峠越えがある。そこの休憩所で暫し足を休める。
休憩所には大概ノートが置いてあり休憩した遍路がお礼のメーッセジを残すシステムになっている。それ以外にも
「〜さん。元気に歩いてますか?お互い頑張りましょう!!」
などの途中まで一緒に歩いき後ろから来ているだろう者への励ましの言葉などが綴ってある。中には便所の落書きレベルのものもあるが。
そのノートを眺めているとおじいちゃんが缶コーヒーを接待してくれた。
「一人で歩きよるんか?」「そうですよ〜」
「はぁ?」
少し耳が遠いようだ。
「そうですよ!!」
今度は通じた。しかし、おじいちゃんは一人で話を進める。聞き取れない。話をこっちのペースにもってこようと
「昔のお遍路さんはどんな感じだったんですか?!!」
質問をすると
「ワシも車で回ってるんや〜」
と違う答えが返ってくる。これを30分ほど続けた。おじいちゃんの話で分かったのは
「車での遍路の寝泊まりはコンビニでやってる」
「閏年の遍路は逆打ちでやる」
「亡くなった妻の為にお遍路をしてる」

長年の同士を喪うってのはどんな苦しみなのだろうか。まだまだ僕には解らない。その苦しみの名を愛別離苦とただ発音出来るだけだ。
亡くなった連れ合いの供養の為にお遍路をするって話は今のところ男からしか聞かない。女からは聞いたことがない。

おじいちゃんにお札を渡しお礼のを言いながら握手をして別れた。

三十六番には問題無く到着。三十六番の前は沼になっている。昔話で鴨猟をするような沼だ。沼の脇に桜並樹があった。一本だけ狂い咲きしちゃった木があった。パンクな桜である。

三十六番から三十七番を空海は船で行ったらしい。納経所の若い坊さんにそのことを聞くと
「10キロを一時間でいきます。空海も船を使ったらしいですからね〜」
とその言い方に少しカチンときた。この旅初の生きてる人間へのカチンである。前回のカチンは険しい山道ばかり歩きたがる空海にであった。

その言い方は「船使うんですか〜歩かないんですか〜修行に成りませんよ〜」と小バカにした感じの対応に聞こえた。そう聞こえる自分に問題ありだが。




船に乗った。

「いや〜湾内は穏やかで山も色付き始めて綺麗だ〜船を選んだ僕は幸せ者だ〜」


目的の船着き場まで楽しめた。船頭に話しかけまくって必要以上に楽しんだ。


それから陸路を少し行き良い野宿地が見つかったので今日は終了。
  

Posted by sumi at 18:41Comments(1)行程編

2009年11月08日

三十四番〜三十五番

今日も快晴。今朝は誰かが唱える般若心経で目が覚めた。まだ6時にもなってない時間だ。信心深い人もいるものだ。
こちらも出発の準備。靴下の穴が大きくなってきている。どこかで買わないと。高い靴下だったのに。
歩き始めてる。平地が続く。楽だ。
三十四番まであっさり着いた。納経所でビスコを頂いた。
「嬉しい〜」
と声が出てしまった。
納経所のおばあちゃんは笑ってた。
ここ数日、荷物についてよく声をかけられる。
「大きい荷物やな〜なんキロや〜?」
「多分20キロくらい」
と答える。小学生くらいだ。
「いや〜大変やわ〜頑張って〜」
荷物がいい会話のきっかけになってくれている。

三十五番を目指して歩く。仁淀川に架かる橋を渡る。綺麗な川だ。水が凄く澄んでいる。ここに来るまでの用水路も綺麗で水量も多かった。洗濯をするおばあちゃんもいた。僕は流れる水のある風景が好きだ。溜まっている水はあまり好きではない。町の中を綺麗な水が流れてそこに生き物が泳いでたらなにか嬉しくなる。琵琶湖の北部にも行ってみたい。
三十五番は最後にプチ遍路ころがしがあった。途中で荷物になるが一袋100円のみかんを買ってしまった。日頃果物は殆ど食べないがすっかりみかん好きだ。今だけかもしれないが。
下って今日は終了。汗だくの1日だった。
  

Posted by sumi at 19:09Comments(3)行程編

2009年11月07日

三十一番〜三十三番

今日も快晴。10時頃には暑くなり半袖で歩く。気温差が激しい。
歩き始めて直ぐにコスモス畑があった。一面ピンク色。それを眺めながら歩く。昨日に引き続き荷物が重く感じる。休憩が多くなる。視線が下向きになり、標識を見落とす。道を間違えた。大回りをして三十一番へ。
お経を唱えていると、一緒に焼山寺を登ったおじいちゃんがいた。
「縁がありますね〜」
「大分先を行ってると思ってた。」
「はぁはぁ〜ゆっくり歩いてます〜」
前にもしたやり取りをした。
おじいちゃんは区切り打ちで今日が最終日らしい。
「もう会うこともないね」「お元気で」
とお互い声をかけて別れた。
「元気で」
と言う挨拶はなにか淋しい。
三十二番までの道中、どうしても荷物が肩に食い込むので少しでも軽くしようと頂いたミカンを三つ全て食べた。美味い。ミカンが美味いなんて給食の冷凍ミカン以来だ。一緒に給食を囲んだ皆はどうしているだろうか。
無事に三十二番も到着し、お経をあげ納経へ。納経所には何冊か本が並べてあった。背表紙が並んでいると見てしまう性なので当然見る。読んだことのある著者が原作をしている漫画があって結局最後読んでしまった。
読み終えて出発。三十三番を目指す。この道中は渡船がある。五分たらずの船旅であるが、この旅初の乗り物である。乗り物に乗るのは何日ぶりだろうか。CO2だなんだ言われても、乗り物はやっぱり楽しさを本質的にもっている。
対岸に着き少し歩くと三十三番。今日はここまで。
  

Posted by sumi at 19:21Comments(1)行程編

2009年11月06日

二十九番〜三十番

今日は少し曇り。早朝からテントを撤収。出発。
平地は楽だ足取りは軽い。しかし荷物は凄く重く感じる。何故だろ。荷物が肩に食い込む。
今日は歩き遍路によく会う。5〜6人と挨拶を交わした。何人もの歩き遍路さんに荷物が多すぎると言われた。まぁ〜いい。僕は僕の判断で行く。今はこの荷物もそんなに邪魔には感じていない。重く感じるのは僕に問題があるんだ。
二十九番を打ち終え、三十番に向う途中の接待所に寄る。そこは直産市のようだった。似つかわしくない若いお兄ちゃん達が接待してくれた。
「ありがとうございます。」
「ところでここは農協がやってるんですか?」
「ちがうよ〜」
「自分でやってるんよ〜」「無農薬・低農薬の生産者を探してきて店を開いてるんよ〜」
全く風貌に似つかわしいくない心ある発言である。ヤられた。他にも遍路さんがいたので多くは話せなかったが心に残った。また来て話をしてみたい。
三十番も打ち終え、高知市街地へ野宿地が見つからない。やむ無く宿へ。

今は土佐弁を聞きながら、土佐の味を楽しんでいる。
贅沢だ。  

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2009年11月05日

二十八番

今日は少し曇り。気温は歩いて身体が温まればちょうど良いくらい。長袖で歩き始めるが直ぐに半袖にした。
安芸市市街地を過ぎると自転車道に入る。ここも昔自転車で走った道だ。真夏に半袖で走った為、両腕が火傷になり赤く腫れ上がり、水ぶくれだらけになったのを思い出す。
自転車道は信号もなく、車も走っていないので歩きやすい。只ひたすら歩いた。途中海岸沿いを歩く。もう見慣れ始めた海だが、やっぱり綺麗だと感じる。
接待場や道の駅で休憩を取りながら二十八番を目指す。ギリギリ17時に間に合いそう。結局二十八番に到着したのは16:30だった。
ミカンや飴の接待を頂いた。

しかし、高知を進むごとに歩き遍路さんに会わなくなってきた。何故だろか?

今日は良く歩いた。マメを少し大きくしてしまった。
  

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2009年11月04日

二十七番

今朝は本当に冷えた。河原にテントを張ったのがいけなかったのか。白銀カイロもパワー不足だった。寝袋の上にポンチョを掛布団の様にしたが、まだまだ冷える。これからはもっと重ね着をして寝よう。そしてもう河原にはテントを張るのは止めよう。
早々にテントを撤収。まだ寒い。三枚重ね着をして出発。
今日は山登りの予定だ。暫くは平地を行く。歩き始めて右足の付け根に痛みを感じた。ちょうどコンビニがあったので歩みを止める。トイレを済ませて歩き始めると右足の痛みは無くなっていた。準備体操は必要のようだ。
山道口に着くと下ってきた歩き遍路に出会った。
「遍路道はキツイけど、舗装された車道はそうでもないよ」
この言葉が道中悩みになる。
暫くは車道を行く。遍路道の矢印が見えてきた。
「どうするべきか?いままで通り山道を行くべきか。それとも…」

車道を選んだ。車道でも十分にシンドイ。なんども休みながら、4キロを登りきる。二十七番は完全な山寺である。小さな平地に寺が建っている。車道が出来るまでは大変な生活だっただろう。
登りと同じ道を下る。同じ道は少しイヤだ。
昼過ぎに国道に合流し、夕方まで国道を歩く。今日も海は穏やかな表情だ。
安芸市市街地に入ると後ろから声をかけられた。
自転車に乗ったおじいちゃんだった。
いきなり
「お遍路さんを増やすにはどうしたらいいと思う?」
唐突だ。
「1日2日で小分けにしてお参りできるプランをもっと沢山提示すればいいと思います」
と答えた。
次はこっちの番だ。
「なんでそんなことを聞いてるの?」
「お遍路さんを沢山呼んで、地域興しを考えてるんや〜」
それから高知の話を聞かせてもらった。言葉はマルクス用語満載だったが内容は次の様なものだった。三菱財閥の創設者のこと。高知の山間部は紙漉きが盛んで幕末には工場の様な形が始まっていたこと。工業化・近代化の目が高知の山の中で芽吹いていたのである。開国に進んだ人々の理由が少し分かった様な気がした。薩摩は砂糖。長州は塩。土佐は紙だったのだ。紙は近代という社会システムを作った一つの要因でもあり面白いと思った。紙を作ることで培った土佐の人々の目は、欧米で紙が作り上げた近代を見ることが出来たのである。人には文化や歴史という所以があり、文化や歴史には土地という所以がある。他所の土地の制度をそのまま使うことは出来ない。都市と言うシステムを背負い、世代が断絶した為歴史を知らない現代日本人はどうなのだろうか?歴史を知らないと言うことは面識のない人の想いが解らないということだ。サンタクロースを信じられない子どもに少し似てるなと考えさせられた。

そんな話をしておじいちゃんと別れた。

今日は良く歩いた。明日もひとつは打ちたい。  

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2009年11月03日

二十六番〜

昨日の予報の通り、朝は物凄く冷えた。しかし風は止んでいた。海も昨日とは違い穏やかだった。
早々にテントを撤収し出発する。歩きやすい。風も気温も丁度いい。
淡々と歩く。やっと歩くことに集中出来るようになってきた気がする。
海沿いを歩いているが、室戸岬までの様子とは違い民家もあり、人もいる。
漁港では老人たちが日向ぼっこをしていた。
国道は海沿いを走っているのだが、遍路の道は峠を越えるコースになっていた。どちらでも行けるのだが敢えて峠越えのコースを選んだ。山道に入ると今までの山道とは違うことに気づく。綺麗に落葉が掃いてあり、新しく階段を作った形跡があった。
「誰かが小まめに手入れをしてくれているんだな」
そう思って歩いていると
「ザッ ザッ ザッ」
と箒で掃く音がしてきた。おじいちゃんが山道を掃いていた。手入れをしている人を発見した。
「こんにちは。おじいちゃんがこの道を手入れしとん?凄い歩きやすいわ〜」
「そうじゃ〜ワシがやってるんじゃ」
「一人で?」
「一人やな〜運動がてら妻の供養も兼ねてやってるんや〜ワシはもう歩けないからお参りの代わりに手入れしてるんや〜」
「お遍路さんが、喜んで歩いてくれるから嬉しいんや〜」
話はまだ続く。
「この道はな〜忘れられてた道なんや〜それをな宮崎さんって人が復活させて、ワシが手入れさせてもらってるんや」
「最初は土が削れて、木が覆い被さって、歩けないような状態やったんや。木を切って石畳を敷いて階段を作ってをしたんや〜」
宮崎さんってのは遍路協会の偉い人らしい。帰ったら調べてみよう。
忘れられ最初は獣道の様になっていた道に手を入れ歩きやすくしてきたおじいちゃんはとても誇らしげだった。
別れ際に
「元気でな」
と言われた。
「おじいちゃんも」
と。
この別れの挨拶になにか「ドキッ」とした。今まで、さっき出会ったばかりの人とそんな挨拶をしたことが無かった。もうこのおじいちゃんには会えないんだなと思った。

峠を越え、海沿いに出る。また車に追い抜かれながら淡々と歩く。今日の目的地の温泉に到着し入浴。

温泉の隣の公園にテントを張り野宿。今晩も冷えるらしい。  

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2009年11月02日

二十四番〜二十六番

今日は快晴だ。昨日の雨が嘘のよう。念願の二十四番を目指す。途中、空海が修行した洞窟があった。海しか見えない様な所だった。もうしばらく行くと、山道になり登り。まだまだ登り方のコツが掴めず息切れ。割りと登りやすかった。
二十四番に到着。物凄い風だ。この風に一日中悩まされることになる。
参門を潜ると面白いものがあった。立札には次の様にあった。大きな岩を石で叩くと鐘の様に響くと。勿論叩いてみる。
「カーン」
少し金属音の様に高めの音が確かに響いた。見た目とのギャップに少し驚く。構造を推測するような野望ことはせずにしておこう。
しかし、何よりも驚くのは岩の表面に出来た、窪みである。その窪みは打ち付ける石を丁度はめ込める位の大きさである。
きっと長い時間をかけて多くの人々が石を岩に打ち付けて削れて窪んだのだろう。一人が打ち付ける回数はせいぜい2〜3回ほどだろう。各々一人の労力は微々たるものだが人数が集まれば岩を削ってしまう。
二十四番を下り、昨日までとは違い北上を始める。今日も人に会わない。
二十五番も無事に打ち終え、二十六番を目指す。相変わらず物凄い風だ。杖が前に出ない程の向かい風もあった。
二十六番も山寺だ。今日は二山を越えることになった。延々と車道を登る。車道は勾配が緩いので登りやすい。
二十六番に到着。お経を読み、納経を済ませて下山。今度は未舗装の山道。倒木が2〜3ヶ所あり通りづらい。なんとか国道と合流し、野宿地へ。
強風の中でのテント張りは難しい。

明日は冷えるらしい。防寒に気を付けよう。  

Posted by sumi at 18:26Comments(0)行程編